サイバーと魔法と身体
落合陽一『魔法の世紀』(PLANETS)という本を今頃になって読みはじめた。昼間に読んだサイバネティクスのことと繋がっていたが、さらに進んでいるっぽい。超音波とかで、物を空中に浮かせる事ができたりするらしいから驚きだ。
自分の立ち位置に悩む。いまだに何者でもない上に、情報の洪水で溺れてしまいそうだ。科学の知識が20世紀の高校の勉強でほとんど止まっていて、現実を見るのにその知識のフレームのままだと困惑することが多い。相対性理論や量子論は高校物理で習わなかったしね。一体なにをしたらいいのというのか。あと、なんだかAR(拡張現実)のようなものにも既にハマっているらしい。勝手にそんなことをしないでほしい。お金と仕事はまだない。
いまって、すごく物事を俯瞰して見れる時代な気がして、逆に言えば一個ずつの個別性がとても小さく見える。言い換えると、一個ずつが安価というか安上がりになったということでもあるのだけど。サブスクのせいかしら…。
近年よく見かけるようになったのが、いろんなことの歴史をまとめた本だ。自分の本棚にあるだけでも、日本の音楽史とか、西洋哲学史とか、少女漫画の系譜、サブカル史。カルチャーだけではない。株式会社の歴史だってある。21世紀に入ってから、そういうものを見かけることが明らかに増えた感じがする。それはインターネットの登場で、調べることが簡単になったからだろうと思います。昔は、図書館とか古書店とかで地道にコツコツ調べるしかなかったのですが、今やかんたんな検索ならスマホで済んでしまう。そういうわけで知識へのアクセスが容易になり、必然的に歴史本も増えたのではないかと思います。
なにを生意気なことをと思われるかもしれませんが、例えば音楽だったら、サブスクを利用することで、相当な範囲をカバー出来てしまう。1週間あれば、ビートルズの全曲を聴けるのではないか。レコードやCDという物理的で金銭的な障害が取り払われてしまったから。そういうことがいろんなところで起こっているのだと思います。
ただ、自分の身体はどうにも有限で、いくらサブスクで音楽を聴いても、頭に入る音楽の数はたかが知れてる。ビートルズを1週間で聴いてどうなるというのか。
そういう時代において、自分を安上がりで薄っぺらにしないためにはどうしたらいいのか。
根っこにあるのはネットをはじめとしたサイバネティクスで、このテクノロジーを極めようとすると今さら無理だったりするが、テクノロジーなしでは生きていくことは困難だ。実はサイバーの確固とした定義はないらしい。だが、既に飛行機などあらゆる場面で利用されている。その全てに通じることなど、誰にもできないだろう。キーになるのは、どうやらコンピューターらしいのだが。
落合陽一さんが「魔法」と呼んでいるのは、そういうブラックボックス化したテクノロジーに丸投げしている状況は、かつて科学と呼ばれる前の魔法と呼ばれたものと近いよねということだ。AIをはじめとして、飛行機の自動操縦とか、よく考えたら、は?どういうことなの?というテクノロジーに溢れているが、仕組みを説明できる人がどれほどいるだろう。仕組みを説明できるのが科学的ということだけど。
この時代において価値ある人間であるためのヒントはないものだろうか。
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