「型稽古」だけでどこまで強くなれるか
現在、稽古はブラジリアン柔術に大きなウェイトを置いているが、おかげさまで大変多くの勉強をさせていただいている。
また、これまでやってきた様々な武術…中国武術や日本剣術との関係性も朧げながら見えてきた。
中国武術や日本剣術の稽古は「型稽古」が中心になるが、「型」とはそもそも何か。
「型」とは、一言で言えば「過去の経験」である。
先人が試行錯誤する中で、「これは有効だ」と感じた経験が生まれる。
しかし、経験とは本来一回性のものであり、再現ができない。
それをなんとか後世に伝えるべく編纂された一連の手順、それが「型」である。
そうして生まれた「型」は、必ずしも実戦でそのまま使える形にはなっていない。
「形」ももちろん重要だが、形を真似ただけでは伝えられない経験というものがある。
先人は、その「経験」をこそ伝えたいのだ。
だから一見すると「こんなもの本当に使えるのか?」と思うような型が生まれることになる。
故に、型を学ぶ上では、
「自分は今、何を経験しているか」
ということを感じる「感性」が重要になる。
「感じる力」なくしては、型稽古は無意味である。
漫然と繰り返したり、見た目だけを整えようとする型稽古では、何も進歩していない。
逆に、型稽古で「感じる力」が育ってくると、急速に進歩する。
また「感じる力」は流派を問わないため、まったく異なる流派を学ぶ際にも大きく貢献する。
これが型稽古の意味である。
ただ、「型稽古だけでいったいどこまで強くなれるか」という、伝統武術共通の課題はいつも議論されるところである。
もし「感じる力」が非常に強く、型稽古から深い経験を得られるような人物なら、型稽古だけでも強くなれるだろう。
そういう人も何人か見ている。
しかし、大半の人にとっては、型稽古だけではそこまで深い経験を得られないだろう。
私も無理だ。
そこで「人と向き合う経験」が必要になってくる。
私は「人と向き合う経験」を得る方法としてブラジリアン柔術の門を叩いた。
そうすると必然的にブラジリアン柔術ならではの技術や身体観を学ぶことが必要となり、えらい遠回りのようにも見えるかもしれないが、自分としては必須のこととして稽古に励んでいる。