見出し画像

「走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)」からランニングとの向き合い方を考える-2/4

作家の村上春樹さんはランナーであり、ランニングについての本を書いています。ランナーなら誰しも感じたことがある感情を文章で表現されています。響くフレーズを引用させて頂き、自分の考えも添えて書きたいと思います。(何度かに分けて書いており、こちらは2回目の記事です。)


前回(1回目)はこちら

はじめに:この本と私

私は走り初めて3年ほど経った時に、偶然この本に出会いました。当時はマラソンを初心者でしたが共感することが多かったです。その後フルマラソンで夢だったサブスリーを達成して、燃え尽き、また走り始めたという私のランニング遍歴の中で、5-6回読み直しました。

その度に新しい発見があり、モチベーションをくれ、時にはランナーの迷い・悩みにも寄り添う文章に助けられました。今思えば、自分自身のランニングに対する考え方に大きく影響を与えた内容でした。

先日久々に読んでみて、やはり良い本だと思ったので、私に響いた箇所を引用させて頂き、自分の考えも添えて書きたいと思います。

走り始めたばかりの方、レースに興味のある方、レース熟練者の方、広くランナー全般に通じる感情や視点があると思います。それは、走ることの本質、良いところだけでなく醜く苦しいところも、表現されていると思います。

■筋肉との関係性

筋肉は覚えの良い使役動物に似ている。注意深く段階的に負荷をかけていけば、筋肉はそれに耐えられるように自然に適応していく。「これだけの仕事をやってもらわなくては困るんだよ」と実例を示しながら繰り返して説得すれば、相手も「ようがす」とその要求に合わせて徐々に力をつけていく。

走り続けている方々は「だんだんと長く・速く走れるようになる感覚」を知っていると思います。距離やスピードを少しずつ上げていくことで、筋肉が強くなり脚ができていく、あの感じです。

多く走り・トレーングを重ねるごとに、脚も見た目にも明らかな変化をしていきます。成長しているかのようなその姿に、自分の脚が別の人格を持ったように感じることがあります。

■レース前の脚

レースを目前に控えたこの重要な時期には、筋肉に対してしっかりと引導を渡しておく必要がある。「これは生半可なことじゃないんだからな」という曇りのないメッセージを相手に伝えておかなくてはならない。パンクしない程度に、しかし容赦のない緊張関係を維持しておかなくてはならない。

レース直前の脚の状態は大事です。トレーニングはもちろん大事ですが、やりすぎると怪我や残疲労に繋がり、肝心の本番で思うように走れなくなることもあります。

自分の脚がどの程度までの負荷は耐えらるのか、レース前にはどれくらいの休みを与えることが必要なのか、を理解することはレースを思い通りに走る上で大切だと思います。(私の場合は、レースの7日前まではトレーニングを頑張り、6日前以降はしっかり脚を休めます。)

村上さんが書かれているのは「(別人格的な)脚との対話」のような気がします。それは客観的に自分の脚を理解することにもつながると思います。

自分は勝負レースの直前「右脚君、左脚君、日曜日のマラソンでは最後まで持ってくれよ」と思ったりします。自分の脚が別の生き物のような感覚になります。そう思えてレースに臨んだ時は、レース中も脚の状態をより冷静に感じられ、良い結果のことが多かったです。

■レース後のビール

(レース後の)ビールはもちろんうまい。しかし現実のビールは、走りながら切々と想像していたビールほどうまくはない。正気を失った人間の抱く幻想ほど美しいものは、現実世界のどこにも存在しない。

レース直前は体重や体調を整えるため節制を意識します。自分もレース前の1週間は体重を意識し、食べる量を調整し、禁酒していました。

またレースへの準備やレース本番では、苦しかったり我慢することが多いので「レース終わったら思う存分飲み食いしてやる」と意気込むのですが、実際にレースが終わるとそんなに飲み食いしたいと思いません。心身ともに疲労感が強いので。

ただ「目標達成できたレースのあとの最初のビールの一口」は別次元の美味しさがあります。「初ハーフマラソン完走、初マラソン完走、初サブフォー、初サブスリー」どれも数年前になりますが、その日のビールの最初の一口は今でも覚えてるくらい美味しかったです。

達成感といえばそれまでなのですが、自分よく頑張った、と心から思える日はビールが美味しくなるんだと改めて実感します。仕事でもそうですね。

■走って朝に集中して仕事

僕は普段、一日に三時間か四時間、朝のうちに集中して仕事をする。机に向かって、自分の書いているものだけに意識を傾倒する。ほかには何も考えない。ほかには何も見ない。

私も朝走れる時は走ってから仕事をしてます。(在宅勤務をしていた時はほぼ毎日)。早朝に走り午前のうちにその日の重要な仕事を終わらせる、というのはとても生産性と時間効率が高いです。発想や視点もポジティブ・クリエイティブになるように感じています。

仕事とランニングの関係については過去記事にも書きました。ご覧下さい。

■初心者とベテランの見分け方

走っていて、初心者ランナーとベテラン・ランナーはすぐに見分けられる。はあはあと短く息をしているのが初心者で、静かに規則的に呼吸しているのがベテランだ。彼らの心臓はゆっくりと、考えに耽りながら時を刻んでいる。

長い期間走っていると走り方は自然と洗練されてきます。指導やアドバイスは受けなくても、身体が走り方を覚えていきます。

私はコーチではないですが、すれ違うランナーのレベルはなんとなくわかります。ゆっくり走っていてもとてもきれいなフォームの人は、本気出せばとても長く速く走れる。練習で速く走っていても、上下動が多くて上半身が使えてない、息を切らしている人は初心者の方、という具合です。

きれいなフォームのランナーを見るのが好きです、きれいなフォームの人は遠目にもわかります。すれ違った後も振り返ってしまいます。

走り始めたばかりの初心者の方へおすすめの走り方を書いた過去記事です。ゆっくり走ると良いです、ということを書いてます。

■ランナー同士でなければわからないもの

たとえどれほどレベルが違っても、長距離を走っている人間どうしにしかわからないものごとはある。僕はそう考えている。

ランナー同士でしか共有できない感覚は数多くあります。なぜ走り続けているのか、生活面の工夫、食べるもの、買ったもの、毎回走り出す前の(嫌な)気持ち、レースのスタートラインに立った時の気持ち、目標を達成できた時の嬉しさ、、他にもたくさんあります。

ランナー同士だと初対面でも打ち解けやすいのは、走っていれば誰もがが感じる感覚が強力な引力になっているからだと思います。ランナー同士の雑談や飲み会は本当に楽しいです。

■生き生きと生きる十年

同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。このような意見には、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。

私がこの本で特に好きな箇所の一つです。

私が走り出した理由はダイエットでしたが、程なくして「何かを通じて自分を高めたい」という気持ちに変わっていきました。(当時は言語化できていませんでしたが、振り返るとそういう気持ちでした。そのわかりやすい形が距離やペースの向上、マラソン完走、マラソンのタイム、でした。)

当時は30歳過ぎた頃で、「1年1年がすぎるのが早すぎる」と感じていた頃です。何も残せずにこの1年も終わるのでは、このままなんとなく過ごしていたら次の10年もすぐに終わる。という漠然とした焦燥感がありました。

走るにつれて、少しずつ走れる距離が伸びペースが速くなっていく成長の過程は、その焦りを和らげてくれました。人と比べればまだ決して速くは無いけれど、先月の自分よりも成長している、という感覚。これは大切なような気がします。ランニングに限らずいろいろなことにおいて。

またランニングでも、もう距離やペースの成長(進化)はしていなくても、走り続けることで、自分のルール・規律を守り続けたり、他のことへの好影響(仕事やマインド)を得続けることは、長い人生や生活において小さくない意味があると思います。

ランニングという行為を通じて、自分を燃焼し疲れさせ、対価としての充実感や明確な成長感を得られることは、人間の根本的な健全な本能のように思います。それを「走る」というシンプルな行為で経験できるのは、ランニングの大きな魅力のひとつだと思います。

---------------------------------------------

他にもご紹介したい言葉がこの本にはたくさんあるので、何回かに分けてまた書かせて頂きます。


最後まで読んでいただきありがとうございます。好きボタン(ハートマーク)を押して頂けると励みになります。