本の要約動画に”意味”があるのか
最近は難しい本でも10分ほどで理解する!という本の要約動画または要約サイトがよくあります。忙しいけど、勉強したい人。そんな人が帰りの電車等でさくっと勉強できるのが、要約サイトです。
それらの一番のコンセプトは「わかりやすく」すること。難解な本や、複雑でかつ読むのに時間がかかる書を、賢い人が要素のみピックアップしてくれるからわかりやすく読めます。
今回は、このわかりやすいことが「良いこと」とされる現代で、本当にそれは良いことなのか。弊害はないのか?を考えていきたいと思います。
■わかりやすさで削ぎ落とされるもの
冒頭で述べた通り、本の要約動画だったり、1分で話すこと、簡潔に話すことが良いこととされています。
しかし、この「わかりやすくする」という行為によって大事な部分が削ぎ落とされたりします。
例えば、ビジネス本だったらわかりやすくすると、テクニック部分だけがピックアップされるでしょう。しかし、大事な部分である、筆者がなぜそれを必要だと感じる「背景」、そう述べている「文脈」だったり、本当に使うべき「場所」だったりが削ぎ落とされてしまいます。
■わかりやすさの「罪」
このわかりやすさはもっと罪深い要素を含みます。
単純なもの、わかりやすいものに慣れ、それが当たり前になってくると、
複雑でわかりにくいもの、余計な要素がついているものを忌み嫌うようになってしまいます。
例を挙げます。学校でタバコを吸っている生徒がいたとしましょう。
その生徒の家庭では昔から親の帰りが遅く、あまり面倒をみることができない。
そういった場合に、「家庭の問題→生徒の生活様式」と単純な因果関係で解決してしまうことがあります。なぜなら、そうやって簡単なロジックを押し付ける方が楽だし、周りにも伝えやすいからです。
しかし、本当は生徒の周りには悪い先輩たちがいたり、友達がいたり、先生が校内でタバコを吸っている姿を見ていたりしているかもしれません。
そのように事態はもっと複雑でいろんな要素が絡みあっていることがあります。
単純なものに慣れていると「事態は単純でわかりやすい」というふうに思ってしまうことがよくあります。
実際、多くの人がネットの誤った情報に流されています。
■ではどうするのか?
ここまで、単純なものにも弊害があると述べて来ました。
タイトルの「本の要約動画に意味はあるのか?」という問いに答えると、
意味はある問いうことが僕の結論です。
動画は見て勉強すること事態は良いことだと思います。帰りの電車で本のあらすじをサクッと理解することは決して悪いことではありません。
しかし、大事なことはそれで全て理解したつもりにならないことです。
動画を見て、理解したつもりでも、「もっといろんな要素があるんじゃないか?」と自分に常に問いを立てたり。欲をゆうと動画で紹介された本を買うことをおすすめします。さらには、その本の類似書や批判書までも読むことによって、より事態の複雑性がわかります。
「それじゃ本の要約動画の意味ないじゃないか?」と言われるかもしれません。
でも、本の要約動画はあくまでも、「要約」であり「要素」です。
つまり、「全体」に対する「部分」でしかないのです。
事態は本当はもっとわかりにくいことばかりです。