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東北に根付くSpiritを紙芝居作品にする、それが私の応援のひとつのカタチ

東日本大震災から10年が経ちました。

私は、知ってる人は知っていると思うんですけど(そりゃそうだ)、
震災直後から、紙芝居で東北復興地に定期的に足を運び、
避難所や仮設住宅、保育園や幼稚園、
復興公営住宅や復興支援イベントを中心に
復興応援の紙芝居をボランティアでしていました。

10年間で、190回以上東北に通ったことになります。
※正確な数はもう忘れました💦数は必要ないので。

度々、ブログにそのことを綴っているので
よかったらブログを見てくれたら嬉しいです。

紙芝居師なっちゃんブログ

10年経ったのを機に、ここに、その復興応援活動の事を
記録としてここに残してみようと思ったので、
久しぶりにnoteを書きます。

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この写真、私は忘れられないんです。

これは、2012年だったっけな。
岩手県山田町のある場所で。桜の木なんです。
津波で校舎が流された小学校の校庭に、この桜の木が残っていて。
津波で折られた枝の先から、新しい命の芽吹き。
この古い大木が、まるで、右手を空に伸ばしているみたいでしょう?

命の尊さ、自然の強さを、この木から感じたのです。

東北では、度々、そういう光景に遭遇しました。
こんなにも自然がボロボロになったのに、
健気に新たな命が、宿っている。

自然の尊さ、命の尊さを、感じざるを得ない光景を
度々目の当たりにしてきました。

この10年、とった写真があまりにも多すぎて、載せきれないので、
このタイトルのことを話します。

私はずっと思ってました。
東北復興応援の活動を、何か残せないかと。

避難所や仮設住宅などで、現地のお父さんやお母さんたちから、
逃げてきた時のエピソードや、この町が震災前どんな町だったのか、
沢山聞いてきました。

福島県浪江町のお母さま方と話をしていたときのことです。
浪江町は原発の被害に遭ったところで、町民が福島県内に避難していたんですよね。
いわき市だったっけな。仮設住宅の集会所で「お茶っこ」をしていたんです。

その時に、浪江町の漁師町・請戸(うけど)という地区に
『あんば(安波)さま』という、海の安全と商売繁盛をもたらすキツネの神様がいるのだと教えてもらいました。

私は、古事記や日本書紀などの日本の神様をモチーフに紙芝居を創っているので、とても気になるお話でした。

お母さんたちに、その”あんばさま”の話を詳しく聴いていると、

「なっちゃん、おらほのあんばさまのこと、紙芝居にしてくれねか?」

と言われたんです。

でも、悩みました。私なんかが、お母さんたちの想いを受け取って勝手に紙芝居作っていいの??って。
浪江町に足を運んだことがないのに、よそ者の私が、浪江町の守り神のお話作ってもいいの??って。

それでなかなか筆が進まなかったんです。

そんな中、ありがたいことに、浪江町で紙芝居をさせていただく機会がやってきて。
それがスイッチでした。

創らねば!!お母さんが教えてくれた、あんばさまのお話!

スイッチが入ったらあっという間です。
多分、短い期間で出来上がったはず、確か…

で、その浪江町のイベントで、初めて披露したんです。
それが、『おらほのあんばさま』。

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浪江町の漁師町・請戸に伝わる、神様のお話です。

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浪江の地元の皆さんの前で披露することになり、
足が震えるほど緊張したのを今でも覚えています。

ただただ、想いが伝わりますように。
福島・浪江の復興を願う想い。
浪江の皆さんへの愛。福島への愛。
伝えよう。想いを届けよう。

私、思うんです。
カミサマは、私たちに意地悪をしたり、罰を与えたりするはずがないって。
絶対に、見守ってくれているはずだって。

きっと、あの日、震災当日も、結果的に悲しいことになったけれど、
人間を守ろうとしてくれていたんじゃないかって、思うんです。

そのことを、お話に託してみました。

浪江の皆さん、どう思われるかな…
不安と緊張の中、演じ切ることができた。

大きな拍手をくれた。
「あんばさまを紙芝居にしてくれてありがとう」
「なっちゃん、ありがとう」

私、ステージから訊いたんですよね、紙芝居見てくれた皆さんに。
「このお話、浪江以外の場所でも演ってもいいですか?」

そしたら・・・「いいよ!」と大きな拍手をもらった。
「あんばさまの紙芝居、もっとやって。」
って、終演後もお母さんたちが私のところにやってきて、こう言ってくれた。

だから、このお話は、東北を想う時にいつも携えてます。

先週日曜日に、私が実行委員のメンバーでもある
3.11all鎌倉実行委員会主催の、東北復興応援&鎌倉防災を考えるイベント
『心をひとつに』でも、道の駅なみえからの中継で
演じさせていただきました。

きっと、これからも、このお話を、演り続けるでしょう。

だから、今日はこのnoteで、全編公開します。
よかったら、見てみてください。


『おらほのあんばさま』

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ふくしまけんなみえまちの うけど という
みなとまちに、むかしからすんでいるかみさまのおはなし。

かつて、ここにあった おおきな じんじゃと、
りっぱな みなと。

いまは ちいさな おやしろだけど。
いつまでも、おらほの あんばさま。

さて。
あんばさまとは、うけどにすむみんなのしあわせ、
うみのたいりょう、しょうばいはんじょうを
いのる、うけどの かみさまです。

その あんばさまにまつわるはなし。


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むかしむかしのず~っとむかし、うけどにすむ
ある つりびとが、うけどの うみで、つりをしていました。
すると・・・
つりびと「ひえぇぇぇ~~~~」

なんと、と~~~おくから、、
9にんの おんなのひとたちが ふねにのってやってきました。
つりびと「わわわわ!なんでこんなところにいきなり!」

しかし・・・とうちゃくした ふねをのぞいてみると・・・

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つりびと「ありゃりゃ?あのびじんさんがいないぞ?
こりゃあ、ちいさなおにんぎょさんじゃないか。」

そこにいたのは、9にんのおんなんひとではなく、
かたほうのてで もてるくらいのおおきさの
ちいさな きぼりの にんぎょうが 9たいあっただけでした。

つりびと「おかしいなぁ、たしかに おらのめには、
9にん おんなの ひとが いったんだが・・・ひょっとして・・・」


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つりびと「あの おんなたち、おらのこと だまそうとしているんじゃねぇか? いやいや、これはきっと、きつねが ばけたようかいで、
おらのことを おそおうとしてんじゃねぇか?」
そうおもった つりびとは・・・

つりびと「おい!おまえたちには だまされね!
おらのこと おそおうとしてんだろ!そうはいかんぞ!ええい!!」

と、ほこを にんぎょうに なげつけたのです。

にんぎょうたち(おんなのひと)「キャア~~~」

すると・・・・

ふうふ「こら!おまえさん、なにをする!!」

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ふうふ「このおにんぎょさんは、おんなのかみさまだぞ!
いいおさかながつれるように。
そしておまえさんを、うみのきけんからまもるためにきてくれだんた。
それを、ほこで きりつけるなんて、ばちあたりだ!」

つりびと「そうだったのか・・・ごめんなさい」


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ふうふ「ここにきてくれて、ありがとよぉ。めがみさまの おうちをつくろう」

というと、ふうふは、おにんぎょうえをまつるちいさな おやしろをつくったのです。

ふうふ「ああ、どこからきたか わからんが、こんなとうとい めがみさまが おらほのまちにきてくれたんだ、ありがたやありがたや。」

ふうふは、9たいのめがみさまを おまつりして、

ふうふ「どうか、おらほのまちをみまもってくだされ。」
といのりました。

するとよくあさ・・・

めがみ「おふたりさん、ありがとう・・・」


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なんと!きのうやってきた 9たいのおにんぎょうが めがみとなって
ふうふのもとに、あらわれたのです!

めがみ「わたしたちのことを、おつたえくださって、ありがとうございます。わたしたちは、うみのむこうがわから ここのうつくしい うみと やまを ながめたくてやってきたのです。」

ふうふ「なんと!うみのむこうからやってきたとは!」


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めがみ「はい。わたしたちは、うつくしい このまちがすきになりました。そこでおねがいです。わたしたちを ずっとここにおいてください。
そうしたら、ここのまちを ずっとまもります。

かないあんぜん、しそんはんえい、うみではたらく みんなの あんぜん、
さかなが いっぱいとれること、おこめが いっぱい みのること、
このまちの みなさまが ゆたかにくらすことをみまもります。」


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それからというものの、このまちでは、りょうしさんがりょうにでるまえに、おやしろに、うみのあんぜんと、たいりょうをいのるようになりました。

いつしか、このめがみたちは、「あんばさま」という きつねの めがみとなって、こじまから うけどの まちの みんなのしあわせを みまもる ように、なりました。


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ときがたち、こじまがなくなり、あんばさまは
「くさのじんじゃ」という、このまちのおおきなおやしろにうつり、うけどの 「まちのあんばさま」としてひとびとに したしまれました。

まいとし おこなわれる おまつりでは、まちのこどもたちが たうえの おどりをおどり、あんばさまを たのしませました。

うけどのあんばさまは、それからなんびゃくねんのあいだ、おらほのまちの
たいりょうと、ほうさくを このまちにさずけていました。

そう。あのひまでは・・・


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あのひ、2011年3月11日のこと。はるのまえの、さむいさむいひでした。
とうほくに、そしてこのまちにも、おおきな ゆれと、おおきな なみが 
まちと ひとを おそいました。

あんばさまの おやしろは、ひっしにまもりました。
とりい「なみよ、こないで!おらほのむらをこわさないで!」

なみ「ごめんなさい、わたしをとめて!かってにおおきくなっちゃうの!
わたしも とめたいの!ごめんなさい!」

・・・しぜんのちからには、あんばさまも、どうすることも、できなかったのです。


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あんばさま「ううう・・・あんなにうつくしかった まちも、うみも、ひとも、じんじゃも、えがおもなにもかも、なくなってしまった・・・

わたしは、このまちのひとたちをまもれなかった・・・

ここのひとたちは、ずっとむかしからわたしをだいじにしてくれてたのに、
わたしは、なんにもできなかった・・・」

ゆれと なみが さったあとの、うけどの まちを、なきながら ながめるひびがつづきました。

それから1年たとうとしていました。


しんしょく「かけまくもかしこき~いざなぎのおおかみ~」
あんばさま「あれ、のりとが きこえる・・・・」


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あんばさま「ああ、わたしの おやしろが・・・」

よくとし、まちのひとや、とうほくをみまもるひとたちの てによって、あんばさまのおやしろが あたらしく たてられたのです。

あんばさま「ありがとう、ありがとう。みんなの おうちのほうが、だいじなことなのに。のりと まであげてくれて・・・」


まちの ひとたち「えんや~とっと~、えんや~とっと!」
       「えんや~とっと~、えんや~とっと!」
あんばさま「あれ、りょうしさんの こえがきこえる・・・」


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あんばさま
「ああ、わたしのまわりに、たいりょうばたが・・・
まちのひとたちと りょうしさんが、たててくれたのね・・・ありがとう。ありがとう。」

うけどの りょうしさんやまちの ひとたちは、あんばさまのおまつりを、たやすことなくつづけていたのです。

あんばさま「ありがとう・・・みんなだって、つらいのに、
わたしの おうちを またたててくれる。
わたしのことは あとだって、いいのに。
おらほのみんな。なんて やさしいの・・・」


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あんばさま「・・・わたし、きめたの。なみえのひとたちを
なにがあっても、しあわせにする。まちにもどれない、なみえのみんなのことも、みんな「おらほ」のだいじなひとたち。このまちでそだったみんなのしあわせは、わたしがまもってみせる。だから、おらほのみんな、どうかどうか、えがおでいて」

おらほの あんばさまは、あの日以来、つよいつよい、けついで、
いまは、うけどの ちいさな おやしろで、しあわせを ねがっています。
おらほの あんばさま。

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このお話の元になった「くさ野神社」に
先週、やっと行くことが出来ました。

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本殿の定礎も、壊れた鳥居もそのまま残っている中で、ご神殿だけが、新たに建てられました。

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祈ります。
この様子を、共同通信社さまに取材していただいたのでここに載せます。

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記事のURLも載せておきます。
よかったら、観てやってください。
https://www.47news.jp/photo/5941586.html

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