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雑感97 すじ取り

 家族が栗を買ってきた。銀寄(ぎんよせ)というらしい。とても粒が大きく、皮のつやがいい。
 わが家で栗といえば、栗ごはん。渋皮煮やマロングラッセを作ったこともあるけれど、手間の割に家族には喜ばれないので、一度で止めてしまった。とても美味しくできたけれど、一人で食べるには甘すぎる。モンブランは面倒くさそうなので、作ったことはない。
 作る人の都合でメニューが決まるのは仕方ない。栗ごはんなら、皮むきから。ひと晩水につけて、翌朝に少し煮て皮を柔らかくしておき、年に一度しか登場しない「くりむきくん」を取り出す。くりむきくんは、栗の皮を剥くハサミ型の皮むき器だ。プラスチック部分が栗のアクでうっすらと茶色に染まっているけれど、刃はまだまだ現役で使える。
 しっかりと水につけておいたからか、熱湯に漬けたからか、いつもより簡単に栗の皮が剥ける。虫食いの栗が少なくて、粒も大きいから、皮むきは面倒だけど、それほど苦にはならなかった。鬼皮、渋皮と剥いて、カスタードクリームのような栗の肌が見えてからが本番、わたしの楽しみが始まる。
 栗の所々にある、すじを取るのだ。
 昔から、すじを取るのが好きだった。さやえんどう、栗、年末の数の子も。わたしの母は、すじ取りがあまり好きではなかったようで、小学生くらいの頃からすじ取りはわたしの役目だった。わたしはテーブルに置いたボウルに向き合って、ひとり黙々とすじを取っていた。すじがポコッと外れると快感だったし、すじを取った食材は一際鮮やかな色に見えて愛おしかったし、きちんと並べた食材を持っていくと母に褒められるのがうれしかった。
 母がいなくなった今も、すじがポコッと外れる瞬間の快感と、手間をかけた食材の色は捨てがたい。それは、わたしが少女に戻れる時間だからかもしれない。
 すじを取っている間、数粒だけ皮を剥かないで、ゆで栗にした。しっとりと甘く、わたしの気持ちをほこほこと温めた。




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