見出し画像

「ゴスペルシンガー」ハリー・クルーズ


思っていた以上に宗教色が強くて理解しがたい部分が多く、少々退屈な読書となってしまった……

以下、「解説」(吉野仁)より引用

《ハリー・クルーズ『ゴスペルシンガー』(The Gospel Singer 1968)は、一九六〇年代のジョージア州の町エニグマを舞台に、ひとりのゴスペルシンガーの運命を中心に描かれた小説である。もちろんエルヴィス・プレスリーをそのままモデルにしたものではないが、南部のゴスペルシンガーが成功したのちキャデラックに乗って帰郷するという設定をはじめ、作中のあちこちで彼を連想するエピソードに事欠かない。貧しい境遇から、長じて優れた歌手として活躍し、その世界で人気となり名声と富を集めるだけにとどまらず、王の座に君臨した者をめぐる神話として両者は通じているのだ。》

《最初の章で黒人ウィラリーがメリーベル殺しの罪で牢に入っている場面がある以上、通常のミステリであれば、真犯人探しへと向かっていくだろう。だが、本作はそうしたタイプの探偵小説ではない。いくつもの殺人が描かれているものの、犯罪をめぐるスリラーとも違う。聖と俗が混沌と重なったなか、神のごとき主人公をはじめ登場人物の意外な顔が次々に暴かれるという、先の読めない展開を軸とした物語だ。》

《作者ハリー・クルーズは、近年「ラフ・サウス (Rough South)」と呼ばれて注目を集める文芸ジャンルの先駆的な作家である。「ラフ・サウス」とは荒々しい南部を意味し、「グリット文学 (Grit Lit)」と呼ばれることもある。おもにキリスト教が篤く信仰される田舎を舞台に、貧しい労働者階級の人々を描いた小説群のことだ。福音歌を歌う男の物語である本作の背景には、いうまでもなく南部特有の宗教世界が大きく広がっているのである。》

《ハリー・クルーズの著作は、一時期、大半が絶版だったが、現在は代表作の復刊がつづいている。二〇二三年に刊行された『ゴスペルシンガー』復刊版の序文は、短編集『地球の中心までトンネルを掘る』や『リリアンと燃える双子の終わらない夏』の邦訳があるケヴィン・ウィルソンが書いている。「私がハリー・クルーズに惹かれたのは、彼がモヒカン刈りでドクロのタトゥーをしていたからだ」とウィルソンらしい調子で作者と本作について語っている。またクルーズ第十作 The Knockout Artist(1988) の二〇二四年刊行予定となる復刊版の序文は、なんといまをときめく黒人犯罪小説作家S・A・コスビーである。》

《先にクルーズは、「ラフ・サウス」や「グリット文学」といったくくりで語られると書いたが、このジャンルの代表的な作家のひとりが、二〇二三年六月に亡くなったコーマック・マッカーシーである。しかしその先駆的な作家は、クルーズにせよ、ラリー・ブラウンにせよ、これまでまったく邦訳のないままだった。マッカーシー以外の作家にしても、『ウィンターズ・ボーン』で注目を集めたダニエル・ウッドレル、『ねじれた文字、ねじれた路』のトム・フランクリン、『セリーナ』のロン・ラッシュ など、ぽつぽつと翻訳紹介されるだけだったのだ。ところが二〇二三年にはいり、ドナルド・レイ・ポロック『悪魔はいつもそこに』が邦訳された。戦後のオハイオ州において、罪深い牧師、連続殺人犯の夫婦、悪徳保安官らが登場する犯罪小説である。またクリフ・オフット『キリング・ヒル』の舞台はケンタッキー州の山間の窪地で起 きた女性殺害をめぐるミステリだ。作風は大きく異なるが、どちらも人里はなれた田舎町の犯罪をとらえた「ラフ・サウス」が描かれているのだ。》

いいなと思ったら応援しよう!