【第3回】動物的本能で相手を見分ける
上司にとって、上に行けば行くほど「自分の身が可愛くなり、知らず知らずのうちに保身に走ってしまう」状況を、論理的に説明しようと考えても、答えは見つかりません。
なぜなら、上司と部下の関係は、会社の中における、上司と部下という社会的な関係以前に「もっと原始的なつながりの上に成り立っている」からです。
住職を務めていた小池龍之介氏は、著書の中で「好き嫌い」という感情に関して、次のように述べています。
「動物は、嫌いなものは闘うか逃げる、好きなものにはまっしぐら、というプログラムで生きているといえるのです。それが生命を維持する上で、有益なプログラムだったからでしょう。
そのプログラムが、まだ人間にも色濃く残っています。その命令に従う形で、誰もがある集団や組織の中で、好きな人と嫌いな人を、無意識に区別する習性を持っているのです。
とくにハッキリとした好き嫌いではなくても、あの人は何となく好き(自分に役立ちそう)、あの人は何となく嫌い(自分にとって危険、害を与えそう)と思ってしまうのです」(『平常心のレッスン』小池龍之介著、朝日新書)
また、劇作家で演出家の竹内一郎氏も、著書の中で次のように語っています。
「人類の歴史は、二百五十万年ほどといわれているが(五百万年という説もある)、そのほとんどは〝野生動物〞として生きてきた。弱肉強食の世界だったのである。
野生動物は、遠くから近付いてくる動物が自分に危害を加えるか否かを一瞬で見極めなくては、生き残ることはできなかった。
また、目の前に現れた人間が、敵か味方かを、一瞬で見抜かなければ、自分の生命も危ういし、家族を守ることもできない。
本来、人も他の動物と同様に、目の前の動物(人間も含む)を、見た目で一瞬のうちに判断しないと、生きていけない生物なのである」(『やっぱり見た目が9割』竹内一郎著、新潮新書)
上司も、ひとりの人間であることに、変わりはありません。であれば、敵か味方かを見分けて、安心できる部下を登用するのは、「当たり前」ということになります。
そのうえ、自分に危害を与えそうな気配を感じると、無意識のうちに「嫌い」と判断して、遠ざけることになります。
この現象は、動物的な本能にまつわる話ですから、もうどうしようもありません。
次回につづく
(本文は、弊著『なぜ職場では理不尽なことが起こるのか?』<幻冬舎ルネッサンス新書>より一部抜粋編集し、
シリーズ化したものです)