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【第4回】侮(あなど)れない第一印象

以前仕事の関係で、とある外資系日本法人社長(日本人の方です)の話を聞く機会がありました。

幹部候補者を採用するに当たって、その社長が最終面接をするのですが、採用するか否かの判断は、面接が始まってからわずか最初の数分で決まってしまうそうです。

採用するのは幹部候補ですから、入社後の直属の上司は、当然のことながら、面接官の社長自身ということになります。

ということは、面接の中で「自分の好みに合った人物なのか」「自分の役に立ちそうか」「入社させても安心して一緒に仕事ができるか」などを「瞬時に判断」していた訳です。

応募者の側からすると、やっとの思いでたどり着いた最終面接で「落選」してしまうと、ショックは隠せません。

特にその会社が、自分にとって「どうしても働いてみたい第一志望」であれば、なおさらです。

しかし、仮に面接で不合格となったとしても、面接官(入社後の直属の上司など)と合わなかっただけのことです。

むしろ、相性が合いそうもない職場で、新たな仕事を始めなければならないことを考えると、「不合格でも結果オーライ」です。

また、最終面接まで進むということは、応募した業務は「概ねこなせる」という「お墨付きをもらった」と、前向きに捉(とら)えることもできます。

従って、例え落ちたとしても「合否も、所詮(しょせん)は好き嫌い」と割り切って忘れてしまったほうが、精神衛生的にも良いでしょう。

人は、他人と会ったその瞬間に、「自分の敵か味方か」「自分の役に立つかどうか」を判断しています。

会って話し込むうちに、打ち解けてきて、「なんだ、結構いいやつじゃないの」とか、「この人とならやっていけるかも」となる場合もありますので、第一印象がすべて、ということにはなりません。

然るに、人は間違いなく最初の印象で、ある程度の区別を、無意識のうちにしています。

この事実は、まさに私たちが人間として生きながらえるための「本能の成せる業(わざ)である」と言えましょう。

第一印象を、決して侮(あなど)る訳にはいきません。

                     次回につづく

(本文は、弊著『なぜ職場では理不尽なことが起こるのか?』<幻冬舎ルネッサンス新書>より一部抜粋編集し、
シリーズ化したものです)


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中山てつや
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