自然を翻訳するということ
以下は、僕が自然写真家として活動を続ける中で、もっとも心がけていることになります。今月28日から開催される写真展のために寄稿しました。
<自然写真家とは>
いまでは誰もが簡単に、しかも綺麗に写真を撮ることができます。そんな世の中にあって、自然写真家の役割とは何でしょうか。
私の場合は、ただ見るだけでは見えない自然の局面を、写真でとらえ、文字の力も借りてそれを伝わるように発信する、「自然の翻訳」ということにあります。
延いては、これらの写真を見てくれる方の「内なる自然世界をほんの少しだけ開く」ことができれば本望だと思っております。
森から姿を現したオオカミ
<自然を学ぶ意義を考えてみる>
自然体験は人を謙虚にします。
私はアラスカに渡り、壮大な自然を体験する中で、幸いにも自然を愛でる心を得ました。そして、そこに生きる動植物から多くのことを学び続けています。
日本の人たちが、世界の人々にくらべて圧倒的に謙虚で素直であったのは、日本に自然災害が多く、抗うことができなかったからだと私は思っています。天変地異を経験すると、己のはかなさ、小ささを思い知ります。この体験は、自分の存在を遠くから眺められるようになるという内省の過程の中で、自己を謙虚にしてゆく。これは、自然からのひとつの学びです。無意識的に進められる場合もあるでしょう。
この謙虚さは、最終的に、われわれは自然なしでは生きられない、という考えに至ります。この過程を経ることでしか、自然を守るという自発的な行動には至らないだろう、そう思っています。
そして、そのファーストステップである、「体験からの学び」がいま、閉ざされているように思うのです。
雲天のなかの氷河
<伝え、少しでもひらくために…>
自然の一つの局面を一枚の写真に収め、共有するために、そして自分が見たシーンをより臨場感を持って皆様へお届けするために、カメラではなく人の目で見た情景で表現することを心がけています。臨場感は体験に近づきます。また、天然素材をベースとした紙に印刷することで、デジタルでは表せないリアルが出ます。
今回は、撮るだけで綺麗に写ってしまうアラスカの風景を、それを見た方が「きれい」という感想で終わってほしくなかったために、ほとんどの写真でその色を排除してあります。
私の写真を見て下さる方々が、少しでも自然に対する蒙を啓き、屋外へ自然を探しに出かけ、そこから多くの体験をされることを切に願っております。
中島たかし
令和2年11月7日
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