最高の菌床しい茸
梅雨空で少し雨がチラつき、例年になく肌寒い気温の中、西会津町にある西会津しいたけファームの高久一志(たかくかずし)さんをマモちゃんと縁あって訪ねた。
西会津しいたけファームさんは「全国キノコ食味&形のコンテスト:菌床しいたけの部」において2年連続となる最優秀賞を受賞されており、素晴らしいしい茸の生産者だ。原木しい茸とは手法は違うが、しい茸にかける想いを教えてもらった。
「ようこそいらっしゃいました」
高久さんと奥様の香織(かおり)さんとご両親(武藤さん)が日本家屋に暖かく迎えて下さった。初日は民泊させていただき、翌日菌床しい茸のハウスを見学させてもらう事になっていた。
「これが会津の方で採れるものでできるものなんです。こちらでは山菜をよく食べます。その他は、海がないので乾物が中心です」
武藤さんは、会津のごちそうを準備して待っていてくれた。山菜や山椒の天婦羅や、にしんの山椒漬け(身欠にしんと山椒の葉を重ね合わせ、しょうゆと酢で漬けこんだもの)、こづゆ(ホタテの貝柱でだしを取り、豆麩(まめぶ)、にんじん、しいたけ、里芋、キクラゲ、糸こんにゃくなどを、薄味に味を調えたお吸い物)など西会津の郷土料理を振舞ってくださった。
「こづゆは、こづゆ椀という会津塗の器に盛って出すんです。こちらの郷土料理で正月や冠婚葬祭などの特別な日には欠かせないものなんですよ」
そういって、お母さんが熱々のこづゆを振舞ってくださった。口の中に広がる食材のだしが広がって、初めて食べるのにすごくほっとする味だった。家々で味が違うんだとか。
食事をしながら話をいろいろ伺うと、実は高久さんご夫妻はもともと奥川小学校という小学校の先生だったそう。お二人の出会いはお互い先生だったそうで、昔から農業をやっておられたものと思っていたために、少し驚いて農業を始められたきっかけを高久さんに尋ねた。
「妻の実家が農家ということもあり、休みの時は農業の手伝いをしていたというのもありました。最終的な決め手は、家内の目が少し悪くなってしまいまして、二人でできる事は何かないかなぁと探していたところ、菌床しい茸の事を知ったのがきっかけです。」
福島や西会津はもともと、原木しい茸の産地で、しい茸栽培があることは知ってはいたものの重労働で、香織さんと一緒にするのは難しいと感じていたそう。そんな時に菌床しい茸があることを知り、さっそく見に行ったのがきっかけだそう。
見に行った結果、これだったら奥様もできるかなという事になり、学校の先生を辞めて菌床しい茸を始められた。当時はまだ珍しかった菌床しい茸。技術的にはまだ確立されておらず、苦労の連続だったそう。実際には原木栽培をされていた師匠から教えてもらったそうで
「実は私の師匠は原木から菌床に移られた方だったものですので、栽培工程の中にやっぱり原木のやり方が入ってきています。菌床しい茸の栽培方法に原木のルーツが入ってきいるなぁというのがあるんですね」
菌床栽培は別の栽培方法だと思っていたが、そのルーツは原木栽培にあり、高久さんはそれをさらに磨かれて金賞を受賞される生産者になられている。
会話も弾み遅くまで話し込んでしまったが高久さんの住むこの地区の平均年齢は、七十二~三歳くらいで現在二十八戸になっているんだとか。空き家も増えてきていている。
「二十年後かなったらどうなっちゃうんでしょうね」
限界集落になっているのかもしれないと、心配されていた顔が印象的だった。
翌日。
菌床のハウスを見学させてもらった。西会津しいたけファームさんでは、最優秀賞を受賞された高久さんの技術を、ITを使ってシステム化することにチャレンジされている。
「菌床しい茸は、植菌してからの積算温度や、湿度、日照時間、風の当たり方などで発生の仕方が大きく異なります」
そう言って、ハウスの中を案内してくださった。年中菌床を活用してしい茸を発生させているが、どうしても夏場は成長が早いため肉厚のしい茸が収穫し辛い環境だという。それは原木しい茸でも同じだが、データを駆使していき、しい茸にとってより良い環境を作る事で品質や発生時期をより最適化することに挑戦されていた。
3.11以来風評被害もあり、特に原木しい茸はその被害が厳しかった。そこで、西会津町は菌床しい茸の町になるべく新しい取り組みをされている。また、その地域復興を支える為に富士ソフトさんという企業も一緒になって取り組んでおられた。農業×IT技術で、これからますます厳しくなる地球環境や地方の働き手確保の問題にも前向きにチャレンジされている姿にとても刺激を受けた。
「これからも一緒にしい茸づくりを盛り上げていきましょう」
最後にそう言ってくださった高久さん。本当にお世話になりありがとうございました!ぜひ関西にも遊びにきてください。