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2020年12冊目『科学の剣 哲学の魔法』

エッセンシャルマネジメントスクール(EMS)の主催者西條剛央さんと師匠の池田清彦さんの対談を本にしたものです。

先日中尾マネジメント研究所1周年パーティをした時に西條さんにお越しいただき、同書をサイン付きで頂きました。

私のような西條マニアにはたまらない逸品です。

池田清彦さんにはEMSで2回講義を受けました。

0期と1期の最終講義でした。

何も準備されず、西條さんの質問に回答する形で話は進みます。

まさに今回の対談と同じです。

今回の対談は、ある会合の空き日に西條さんが憧れの池田さんと対談したいという申し出から実現したそうです。

池田さんが考案した構造構成主義科学論を西條さんが構成構造主義として継承した位置づけになります。

ですので、正確に表現するとこの本の対談がベースになり、EMSの講義があるわけです。

いくつもなるほどなって思ったところがあるのですが、備忘録的に残しておきます。

・異常は作れても正常は作れない

遺伝子の欠損などがある場合、そこの異常は特定できて、それを修復できれば正常に戻る。

でも天才だとかを作れるか、全ての場所が正常だから、差異がない。

しかも、全体のシステムの中で起きている話なので、様々なトレードオフも含んでいる。

だから、デザイナーズベービなどは実際は難しい。

遺伝子レベルで考えると、正常と異常は正反対の概念ではない。

・人間の本質とは何か

学問を考える出発点として、平均的な人間を想定するのは分かる。

しかし、実際は人間には差異がある。

大半は同じなんだけれど差異がある。

同じ社会で生活しているので、その微妙な差異が大きな差異になる。

ある程度人間に共通している何かがあると考えるのは良い。

しかし、それが1つで判断できると考える。

例えば、これ以下は異常ですは、ウソだ。

・メタ理論としての構造主義科学論

同じ言葉で同じことを言っていても本当にその人の頭の中で同じになっているかどうかは全然保証できない。

コミュニケーションが可能だというのは、言葉の意味が同じかどうかは関係なくて、言葉の使い方の同型性があれば成立する。

構造主義科学論は、この同型性を基軸にしている。

シニフィアン(意味しているもの:例えば表記、言葉「海」)はざっくり同一だけれど、シニフィエ(意味されているもの:頭の中にある言葉の意味、想念の「海」)は同一かどうかは分からない。

シニフィエは何かというと頭の中で作った何かの同一性だと考えると、指示対象を持つもの(例えば犬)も、抽象名詞(例えば正義)に関して、何にでも妥当できる。

このように何でも妥当できるという事を考えるのがメタ理論

・人間科学におけるコトバの問題

シニフィアン(表記)は同じだが、シニフィエ(同一性)が違う事がある。

そのボタンの掛け違いに気づかずに、言葉がずれて、不毛な議論に終始してしまう。

→一般でもありそう。

・考え抜くこと

社会の事で、疑問に思う事とかおかしいと思う自分のナイーブな感覚を理論つけようとすることはとっても大事。

理論づけるとどこが根本的におかしいのかだんだん分かってくる。

・原理的思考による予測

原理主義は、それが絶対であることを前提として押し付ける事。原理的思考はそうした前提を排して考えることで、似ても似つかない。

原理的思考の結果残るのは、徹底された論理的道筋なので、予測ができる。

人間が予測を外すときは、欲望が出た時。

・哲学と科学のコラボレート

哲学的思考で、原理的に考えたらこうなる。あるいは絶対に無理などを重ね合わせると、考えないで良いところが分かり、考えるべきところが定まる。

その後、科学的思考で、焦点化された箇所を詳しく検討・知見を積み重なていくと良い。

・理論継承とは頭の中で同じものを構築すること

西條さんは、池田さんの構造構成主義科学論を読んで、自分の頭ん中で同じようなものを構築した。

池田さんの言説が西條さんの中に腑に落ちて、矛盾なく収まった。

・構造構成主義科学論を理解するためのポイント

名辞が最終的に指しているのはシニフィエ、自分の頭の中にある同一性。

同一性自体がすべての人で同じ保証はないし、その必要もない。

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