味のないご飯からの考察
最近はこねこね考えすぎて
ぐちゃぐちゃの毎日。
できればキッチンに立って料理をしたい。
それが叶わなくとも、
つくった人の顔が見えるご飯が食べたい。
そんなシンプルだけど気を抜くと疎かになる
食を想って暮らしています。
皆さんもお大事にです☺︎
🌿
久しぶりの投稿は
私のレシピには分量がない
という事実に迫ってみたよ、というもの。
正確には、
使う食材や調味料の大まかな分量は記載しても、
具体的な少分量までは記していないレシピです。
食を伝える仕事をしておきながら、
「なんと不親切な」と思われるかもしれない。
「言葉足らずで分かりにくい」と
スルーされるかもしれない。
しかし、そこには私なりの理由があるので、
ぜひとも読んでいってください☺︎
味のないお弁当づくり
小学校高学年になった頃、
共働きの両親に代わって
兄弟のお弁当づくりをはじめたのが
私と料理の出会いです。
料理の基本も分からないままの挑戦で、
それはそれは「味のないお弁当」で有名だったほど。
後々聞くには『妹に弁当は作らせないでほしい』と、母へ申し入れがあったそう。。。
(兄弟よ、すまない)
調味料も調理工程も
足し算、引き算の繰り返しの毎朝。
母の料理を正として、自分の料理の「色の具合い」を目で確認して、「加熱具合い」を音で確認して、「味の具合い」を舌で確認して、「盛り付け具合い」を手や心で確認していました。
私に才能があったのか(美味しかったのか)
それともその逆だったのかは分かりませんが
両親のためにって理由だけでやっていたことが
いつしか楽しいに変わって
結果的に財産となり、職業となり、
誰かの豊かさに繋がっているのなら
こんなに嬉しいことはありません。
当時のわたし、
本当にナイス モーニング🐮👌
✂︎ ✂︎ 話が外れました
料理の型の、その源型
そこからたくさんの食に触れる機会や
栄養学を学ぶことで料理の型を理解していきました。
それでもやはり、
料理の型の源型は自分の感覚だと今でも思うのです。
感覚を頼りにするしかなかったあの頃を経て、
今、一番頼りになるのはやっぱり感覚なんですね。
なぜなら
食材は時期によって、調味料は種類によって
一番良い加減って異なりますよね。
使う道具が何製なのかで火加減も変わるし、
浅いのか深いのかで水加減が変わります。
その日の体調によって自分が好む味わいも変わるはず。
ちょうど良い加減はその時々で変わるので
レシピ通りに…なんて到底いかないんです。
一方で、何度も何度も自分の感覚に頼った加減でつくった料理は、いつの日からか身体の一部となって、そうそう簡単に忘れることはありませんし、応用力も効く。
マイキッチンを離れても、
アウトドアで料理をすることがあっても、
養われた一番良い加減の感覚が味方をして、
その時の最高を導いてくれます。
誰かの正解に拘束されない自分だけの「食の自由」がコントロールできるようになると、料理ってどこまでもどこまでも広がって、楽しくて、豊かです。
そんな良い感覚を掻き立てるような体験を
お届けしたいと思っているので
細かな分量をお伝えしないのが私流なんです。
釜でご飯を炊いている時には決まって
「あと何分で火を弱めたらいいですか?」
と聞かれます。
「においを嗅いでみよう!」
というのが私の考え。
だって炊く前と炊き上がりそうなお米のにおいって
ぜ〜んぜん違います。
焦げている匂いがしたら、少しお水を足して蒸らし時間を多めにとると大丈夫!ということも知っているので、慌てることもありません。
「木の蓋を観察してみよう!」
とも言ったりします。
フタの隙間から湯気が出てきて、ぶわぁ〜と泡を吹いたら良い加減だよって合図です。
ちゃんと食材は
ちょうど良い加減を教えてくれています。
それをちゃんと感じて受け取れるのか、
素通りしてしまうのかが
問われているようにも思います🌿
きっと私は、
これからもずっとこんな感じ。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
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