【エッセイ】「前世」とかいうやつ
みなさんは、「前世」について考えたことがありますか?
わたしはしょっちゅうあります。
わたしは、「神」とか「前世」とか「幽霊」とかそういう「抽象的概念」を基本的に信じています。
「『抽象的概念』と言えば」過ぎる、「神」という存在を信じているので、自動的に他の「抽象的概念」を認めざるを得なくなってしまってるのかもしれません。
なんというか、「そういうの」って信じてる人にとっては「いる」し、信じていない人にとっては「いない」んだと思います。それでいいと思います。
例えば、わたしは、なんというか、スピリチュアルな感性?才能?がゼロです。霊感もゼロです。本当にビックリするくらい無い。幽霊が隣でスクワットしてても気付かないレベルだと思います。
とはいえ、既に亡くなってしまったひいおばあちゃんは、今もわたしの近くにいると思います。閻魔大王に止められても振り切ってあちらの世界からこちらへ来ていると思います。わたしのこと、それくらい溺愛してたので。でも、全然気配とか分からない。せっかくひいおばあちゃんが閻魔大王に背いてでも会いに来てるかもしれないのに、ひどいひ孫ですね。…でも、感じ取れなくても、「ひいおばあちゃんが近くにいる」ということはとにかくぼんやり信じている。
まあ、とにかく、信じるか信じないかみたいなところありますよね。
(本当に余談ですが、わたしは「自分霊感全くない件」について、「ひいおばあちゃんのオーラがクソデカ過ぎて周りの霊が呑まれている」説を己で唱えています。)
だいぶ話が逸れました。「前世」について話を戻します。
みなさんは、自分の「前世」がなんだったと思いますか?
今、「人間」であるが故に、「前世」も当然「人間」だったろうとつい考えてしまいますが、よく考えたらそうじゃない可能性も全然ありますよね。
わたしの場合、もし「前世」も「人間」だったら、
「貴族の三男坊」とか「文豪」だったと思います。
とにかく「高等遊民」と呼ばれるような存在だったと思うんです。
今のわたしの暮らしぶりや性格から見るに、そうとしか考えられない。
いやまあ何分「前世」のことなので、今のわたしからものを考えるのはズレているのかもしれませんが、なんとなくそういう気がするんです。
「今のわたしの暮らしぶり」なんて言いましたが、わたしは一般庶民です。
でも、親の脛を齧り、いつ食えるようになるか分からない小説家なんて呑気に目指し、のらりくらりとまるで「高等遊民」のような暮らしをしている。申し訳程度にしているアルバイトの日以外には好きな時間に起き、好きな本を読み、好きな文章を書き、散歩をし、あとは一応の家事をしたりする。同世代の人間から見てなんとお気楽な生活をしていることか。それこそ、「あんた、貴族じゃないんだから」と呆れられて縁を切られてもおかしくない。
なんというか、「前世」が「現世」に影響してるのだと思わずにいられないくらいには「高等遊民」ごっこがあまりに巧み過ぎるんですよね。「今のわたし」は普通の庶民なのに、「高等遊民」としての生き方がやたらと上手なのは、「前世」が「そう」だったからじゃないかと。
…自分で言うのもなんですが、わたしの生活、よく聞く「実家が裕福な文豪」過ぎません?
これは、本当に頑張って、現世でも「文豪」になるしかないですね。
動物だったとしても、どこかのお屋敷で飼われている犬とか猫とかだったんじゃないかなと思います。「わたし」として輪廻転生するような魂が弱肉強食の野生下で生き残っていけるわけがない。
いつどのどんな生き物・存在の時代の「わたし」も、きっとどこかでのんびりとぼーっとしながら生きているんだと思います。
みなさんも、よかったら「前世」について考えてみてください。「自分のこういうところは、『前世』が〇〇だったからかも!?」って想像するの、結構楽しいですよ。