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たまに忘れるけど、私は最高


私はたまに、私は最高であるということを忘れてしまう。



そもそも、私は最高なのだ。

今日だって、健康のためにトマトとカイワレと豚バラのサンドイッチを作って食べた。

昨日だって、勇気を出してあの人に気持ちを伝えた。

一昨日だって、夢中になって文章を書いた。

先週は、友だちの悩みを聴いてあげた。

一か月前は、勉強を頑張った。


半年前は、人生の中で一番大きい決断をした。



やっぱり私は、最高なのだ。

誰かの為にはたらきながら、自分のために自分の人生を生きている。



それでも、私はたまに、私は最高であるということを忘れてしまう。



耐えられないことが起こったとき。

正解が分からなくて、怖いとき。

心を地べたに突き落とされたとき。

出来て当たり前だと、褒められることもなく経過していく時間。



そんなときは、私は最高であるということを、うっかり忘れてしまう。




ついこないだも、またうっかり忘れかけた。


出口が見えなくて、動けなくて、そして涙のような液体は、私のあごの下まで垂れてくる。



「あの人のように上手くいかないのは何故だろう」

とか

「お母さんが言ったように、私には無理なのかもしれない」

とか。



私の頭の中はドス黒い砂利のようなものでいっぱいになる。

「最高」が見つからなくなる。




でも、そんな時あの人は、また懲りずに
私のことを「あなたは最高の生き物だよ」と言ってくる。


何回も何回も言ってくる。

あなたは偉いし、最高だし、幸せでいるべきなのだと。



だんだん私の頭の中の真っ黒な砂利は、抜けていく。

頭がオエオエいいながら、砂利を吐いていく。


気付いたら私は、「私は最高である」ことを思い出している。




私は、どうやったって私と話せない。

本当は、私が私に「あんたは最高だぜ」と言ってやりたいのに。



だって私は、誰かのスゴいところを見つけるのが得意なのだ。


「は!?ちょ、あーた、こんなことも出来ちゃうの?!天才なの?」


と、簡単に見つけてしまう。



でも、それを自分には出来ない。どうやったって私は私と話せないから。



ヒトという生物は、自分と話すことは出来ないようになっている。


自分は自分であるという意識を持ちながら、私と話せたらどういう会話をするんだろう。

いやはや、やっぱり難しい。




私は、私と話せなくてずっと苦しかった。


だから私は、「あーたは最高なのよ?」と心の底から言ってくれる人をこのインターネットの海の中から見つけ出して、「私と出会ってください」とお願いしたのだ。



最近の私は、「私は最高である」のを忘れてしまう時間が圧倒的に減った。


1993年から2020年まで、「私は最高である」ということを忘れている時間の方が多かったのだけれど。



でも今は違う。

その割合は逆転したのだ。



それでもまだ、たまーに、うっかり、忘れてしまう。人間だもの。

そんな時は、あの人にまた記憶を引っ張り出してもらう。




いつかきっと出会ったあなたには、私はきっと「は?天才なの?最高なの?」と言い続ける。



だって、
あなただってたまに忘れてしまうだけで、
自分が最高だということを、もう知ってるのだから。



今つらくても、それはあなたが「自分は最高である」ということを、うっかり忘れているだけなので。



一緒に、とっとと取り戻しに行きましょ。




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《中野あすかとは》
月曜日が辛くない生き方を一緒に作る28歳のコーチ。
仕事が大好きすぎて頑張ってきたけど組織活動が苦手で社会不適合が大加速。大絶望の末に「対話」に出会い、裸足のままフリーランスになる。
「勇気づけの対話」を常に考えています。
文章を書くこと、本を読むこと、音楽を聴くことが好き。岡村靖幸ファン。
成功よりも幸せを優先できるようになった人🐧

Twitter stand.fm(ラジオ配信)


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