誰かに届けたいものがある人は、こうやって文章を書くといいよ。
「届けたいもの」があって、noteで文章を書いている人は多いと思う。それは自分のサービスだったり商品だったり作品だったりする。
「届けたいもの」がある人の文章は、”執筆”ではなく”発信”と言われることが多い。厳密にいえば、私のこのnoteも”発信”だ。
”執筆”と”発信”は、違う。なんというか、使う筋肉が違うのだ。私はおそらく”執筆”(というか”表現”?)が好きだったから、フリーランスになってから「文章で”発信”する」とはなんたるものかを理解するのにかなり時間がかかった。
ただ書くだけじゃ、自分の求める成果が出ないのが”発信”だ。
今日は、「誰かに届けたいものがある人」はどう文章を書くべきなのか?という話をしていこうと思う。
なぜ、”文章発信”を選んだのか
この話は、なぜnoteでの発信(=文章発信)を選んだのか?というところから考えていくといい。
「届けたいもの」が仮に、オンライン上で売りたいものだとする。
有形商品なら、それをAmazonで売らないのはなぜか。ネットショップで売らないのはなぜか。
無形サービスやスキルなら、スキルシェアサイトで売らないのはなぜか。クラウドワークスなどで案件受注をしないのはなぜか。
もしくは、仮にそういったプラットフォームを使っていたとしても、「文章メディアで発信すること」を選んだのはなぜか?を考えてみてほしい。
多くの人の場合、文章発信から選ばれるスタイルを考えた時点で、「ただ届けること」から降りたかったのではないかなと思う。
「ただ届けばいい」「ただ売れればいい」だけなら、莫大な広告費をかければいいし、お金を払ってインフルエンサーにPRしてよ~と頼めばいい。別に、文章発信なんてコスパが悪いことはしなくてもいいはずなのだ。
だけど私たちは、「ただ届けばいい」「ただ売れればいい」とは思えなかった。
自分を人柄を知ってもらいたいとか、自分を理解してくれた人に届けたいとか、そんな動機が生まれてしまった。効果があることよりも、意味があることに価値をおいているからだ。
自分の本当に大切なものだから、「誰でもどーぞ」で届けたくない。自分を・自分の世界観を好きになってくれる人に、渡したい。
きっと私たちは、人生のすべてのやりとりを、可能な限り愛にしたいのだ。
「届けたいもの」をいきなり配達しない。相手は受け取れないから。
自分を・自分の世界観を好きになってくれる人に、自分の大切なものを渡したい。
そんな想いがあるくせに、「いざ発信しよう!」となると、いきなり自分の届けたいものを勝手に配達している人はめちゃくちゃ多い。
特にビジネス関連の発信は、この手の発信になるケースが圧倒的多数だ。読み手との信頼関係が築けてないうちに、「サービスリリースしました!」とか「販売開始しました!」といういわゆる”お知らせ”をしてしまいがちな人は多い。
読み手からすると、はじめましての営業マンが自宅にピンポンしてきて、ふとんを担いでいるのと同じなのだ。今の時代はオートロックにカメラがついているから簡単に無視できる。noteのタイトルも、”カメラ”の役割をしていると思っていい。知らない人の”お知らせ”は、簡単に無視してしまう。
相手が注文したい気持ちになっていないのに、こちら都合で「届けたいもの」をいきなり配達するのは勝手だ。相手は受け取れないのだ。
「ただ届けばいい」「ただ売れればいい」と思っていないのは自分のはずなのに、実際の行動がふとんを担いでアポなしピンポンをする営業マンと同じになっている人は。多い。
私はライフコーチという仕事をしているから、私との対話が、私の「届けたいもの」になる。
と、いいながら最近はコーチングだけでなく、”書きたい大人”をサポートするコミュニティの運営も始めているんだけれど、いずれにせよどちらも中野あすかという存在なしに成り立たない、いわゆる無形サービスにカテゴライズされる。
私はどちらのサービスも、やっぱり「ただ届けばいい」とは思っていない。
中野あすかという人間を知ってほしくて、この人と一緒に時間を過ごしたい!と腹の底から思ってくれた人と繋がりたいと思っている。だから、いきなりピンポンを押すことはしないのだ。
じゃあ、ピンポンを押さずにどうやって届けたいものを届けるのか?
答えは簡単だ。
「読み手と信頼関係を構築する発信」をしていけばいい。
ここからは、「読み手と信頼関係を構築する発信」とはどんな発信なのか?を書いていきたい。
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