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『un/real engine ―慰霊のエンジニアリング』展 レポート#02 《Site A 災害の国》

戸田建設が主催の TOKYO2021 の美術展『un/real engine ―慰霊のエンジニアリング』。「祝祭」と「災害」を繰り返してきた日本歴史を振り返り、「慰霊」のあり方を考える展示構成になっています。

《Site B 祝祭の国》のレポートは前の記事でお伝えしましたが、今回はその続き、《Site A 災害の国》の展示についてお伝えします。


【注意書き】

※ ネタバレありますので、まだ展示を観ていない方はご注意ください。

※ 展示自体、まだ生成途中とのことで、会期中に内容が変わっていく可能性があります。レポートはあくまで2019.9.15前後のものです。

※ こまかい作品情報は、2019.9.14放送の芸術動画「TOKYO2021美術展オープンSP!カオス*ラウンジ3人が語る、見どころと裏側!?」を参照しています。

※ちょっと長いです。興味のあるところのみ流しなら読んでいただいて構いません。


SiteA 災害の国


〜エントランス〜

磯村暖
『プロテストする地獄の亡者、ある時にはプロテストしたので地獄に落ちた亡者+モ ゙ク丸ヒト丸、dot0a、中川春香、他8名による地獄の亡者の彫像群』(2019)

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仏教国タイでは、「悪いことをするとこんな目にあうよ」ということを立体像で表現した、通称<地獄寺>と呼ばれる場所があります。この作品は、その地獄寺の鬼たちがデモをしている姿をセメント彫刻で表現したものです。

"THEY ARE NOT DANGEROUS , THEY ARE IN DANGER"、"NO HUMAN BEING IS ILLEGALL"という言葉や、レインボーパレードのような虹が描かれたプラカードを持った地獄の亡者たちが異議申し立てをしている様子は、私たちが今いる場所の常識を疑えと訴えているような、ここから先はそういった場所ですよ、と忠告しているような、そんなメッセージ性があります。

私たちは、地獄の死者たちから"WELCOME"されながら、さらなる死者や彼岸を扱った数々の展示をみに、先に進むこととなります。


〜京都アニメーションと雲と群衆〜

梅沢和木
『Summer clouds』

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「Cloud(雲)」と「Crowd(群衆)」を掛け合わせた梅ラボさんの新作で、制作のきっかけは京都アニメーション事件とのこと。

「雲」は空や爆煙を表し、「群衆」は祝祭や災害、事件を表していて、広島の原爆の写真や、コミケの群衆写真、京アニ付近でとった牧歌的な空の写真や、絵で描かれた空が入りまざっています。キャラクターは登場しません。

芸術動画によると、タイトルはAir のテーマソング「夏影(なつかげ)Summer lights」からインスパイアされているとのことで、「夏影」には<光と影>という対応関係があるのに対し、「Summer clouds」は<煙と火>の関係性があるとのことです。

また、側面にはこんな印刷物が。

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お祭りでも災害でも群衆ができるし、集まるから楽しいし、でも危ない。だからセキュリテイが大事、ということから貼られたプリントです。

京アニやあいトリの事件を受けた<セキュリティ>の問題は、次に紹介するカオス*ラウンジの作品へと続きます。


カオス*ラウンジ
『室内劇 se cure』

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こちらは日本橋〜京都までを結ぶ東海道を、善財童子が走って進む様子を描いたペインティングで、カオス*ラウンジメンバーが共同製作しています。

江戸期に整備された東海道は、東京から京都へ流通の道であり、巡礼の道でもありました。十返舎一九『東海道中膝栗毛』、歌川広重『東海道五十三次』などの作品の舞台になるど、文化も生み出してきた道です※1。

同時に江戸城を守るためのセキュリティの道でもあり、関所での危険物取り締まりがあったり、河川の橋梁、渡船の取り締まりもありました※2。

この絵の中では善財童子は『法華経入法界品』に登場する童子のキャラクターで、53人の知恵を持った人に会いに行くというエピソードがあります。その話に感銘を受けた徳川家康が、東海道の宿場の数を53に決めたという説があるそうです※3。

(※1~3 作品脇の壁のテキストより)

この作品は、京都アニメーション事件へのアンサーとして作られていて、善財童子が東京から京都まで知恵を求めて走っている様子と、作家たちの京都へ向けた想いが重ねられています。

また、東京を左側に、京都を右側に反転させることで、「虚構」の道であることを明示しているとのことです(芸術動画より)。

それにしても、メンバーそれぞれが描く善財童子の違いをみるのも楽しめます。

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梅田裕
『53 つぎ』

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入り口から京都の方角へ向けて並べられた土の袋がこの作品。
東海道53の宿場に実際に行き、そこで採取した土を並べているそうです。(芸術動画より)

「土木的な何かがある」「そして意図的な方向に並べられた何かがある」と気になっていたのですが、そういうことだったのか納得。
53次の土が醸し出す存在感たるや…。


〜エンジニアリングと虚構と〜

宇川直宏
『Series of Interpreted Catharsis episode2 - earthquake SAN FRANCISCO EARTHQUAKE 』


(写真がありません)

95年の阪神淡路大震災と89年のサンフランシスコ大地震と同じ震度、揺れを筑波の地震研究所が再現する人工地震を、宇川さんが用意した当時の風俗のセット上で起こし、その様子を撮影した2007年の写真作品です。

地震研究所によるテクニカルな研究と、宇川さんの演劇的表現という両面から地震が表現されていて、「慰霊のエンジニアリング」のテーマにストレートに応答した作品になっています。


大山顕
『Firewall』

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墨田区にあるファイアウォール団地、<白髭東アパート>をパノラマ写真で撮影した作品。古くから水害に悩まれてきた地域で、関東大震災のときには多くの人が火の手に追われて目の前の隅田川に落ちて亡くなったとのこと。
この団地は延焼を食い止め、避難してきた住民を火の手から守るために作られており、長さは約1.2kmにもおよび、建物自体が防火壁となっているばかりか、防水銃まで備えているというのだから驚きです。

白髭東アパート自体が、都市が一体化した災害の記録のようにそびえ立ち、圧倒的な存在感でした。実物を絶対に観に行きたいです。
土木というエンジニアリングが災害に対しどう応答しているか、考えさせる作品でした。


三上晴子(みかみ せいこ)
『《Bad Art For Bad People》で使用されたケーブル』(1986)

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都市のインフラに張り巡らされた各種ケーブルを神経系に見立てた三上晴子の作品。三上さんは1980年代、<ポストもの派>の延長線上でデビューし※4、後からメディア・アーティストの先駆者として呼ばれるようになった作家です。同会場で展示をしている飴屋さんとパートナーとして作品制作をしている時代もあった方です。

※4 椹木野衣「47:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(1)」(ART iT 2015.2.9)参照

おそらく古いNTTの電話回線らしきインフラのケーブルを使い、脳のような造形が形作られたこの作品は、都市の情報空間が身体に組み込まれていく様子を表しているようにも見えますが、他の作品も追ってみたいと思います。

『Iron Plant』(1984~1985)

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同じく三上さんの作品『Iron Plant』。
工具に刺さった鉄の棒の先には、タイプライターのキーボードの金具などが花びらのように取り付けられ、彼岸花のような佇まいで入り口付近に置かれいました。造形としてもとても美しく、目を見張るものがあります。

1980年代にこんなに尖ったアーティストがいたのかと驚きながら拝見していました。今はもう亡き方ですが、過去の作品をもっと追ってみたい作家さんです。


SIDE CORE
『RODE WORK』

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2017年の石巻でおこなわれた Reborn art Festival が初出の作品。
舞台は、東日本大震災で被災した石巻にある、水産物の冷凍加工工場を、地元のスケートボーダーたちが Onepark というスケートパークにした場所。しかし魚市場の再開が予定され、これかから Onepark が運営できなくなる、というタイミングでの展示でした ※5 。

スケートボーダーからすると被災地がこうも遊び場なる、そんな反転が震災を乗り越える新しい方法にも見えて、非常に魅力的でした。あの展示は石巻でみれて本当によかったです。

※5 当時の詳しい展示の様子は「SIDE COREが語る、ストリートカルチャーと現代美術を繋げる実践」(CINRA.NET 2017/12/13)を参照


〜言葉と慰霊〜

飴屋法水
『 ニシ  ポイ  』

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「なぜか生きている」

そう書かれたプチプチシート、その下に座っているのは飴屋さん。

明るく照らされた会場手前側と、暗く沈んだ奥側の、ちょうど中間あたりに座っていて、ただならぬ雰囲気を漂わせていました。

この展示は、1995年地下鉄サリン事件以降、美術家としての活動を停止していた飴屋さんに、そのことについての新作を作ってください、という黒瀬さんからオファーを受け作った新作とのこと。

飴屋さんの斜向かいには、正方形に剥がされた床と、その上に骨壷がおかれています。
芸術動画によると、天井にも同じサイズの穴が空いているそうですが(見逃しました)、日本の絞首刑の時に抜ける床のサイズと同じだそう。麻原彰晃の死刑を思わせる空間の横で、死者に向けて言えるのはこれだけ、という「なぜか生きている」という言葉とともに、飴屋さんはただ座っていました。

会場の奥に進むと、一面文字の貼られた壁画が現れます。まるで念仏のよう。

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これは2005年に飴屋さんが、ギャラリーの白い箱の中に24日間閉じこもるというパフォーマンスをおこなった「バ  ング  ント展」に向けて、椹木野衣が書いた文章とのこと。内容はデビルマンについて。ところどころ(大事なところの)文字が抜け落ちています。

タイトルも言葉が抜け落ちていて、フルで書くと「バニシングポイント」。Vanishing Point 、<消失点>です。「バ  ング  ント」とは「 ニシ  ポイ  」が抜けたもの、つまり今回の展示は、前回の展示から抜け落ちた文字をタイトルにしています。

「バ  ング  ント展」のとき、飴屋さんは、水や非常食など、最低限の物だけ白い箱に持ち込み※4 、排泄物も袋の中で処理する形で24日間過ごし※5、消失点にギリギリ迫るような命を張った展示でした。当時行けていないのがかなり悔やまれます。

※4 持ち物参照:Real Tokyo「120:消失する身体」2005.08.18
※5 当時の状況参照:アーティスト・インタビュー:飴屋法水 | Performing Arts Network


壁画のドアを開けると、トイレに向かう廊下があり、今度は手書きの文字でいっぱいの壁が。

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これは麻原彰晃の初公判の言葉を、飴屋さんが手書きで書いたもの。貼られてい写真は上九一色村のサティアンがあった風景で、今は何もなく、赤い消火栓のみ写っています。

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もうひとつの壁には、日本列島が消された気象図が映ったモニターが。
日本列島が消え、原子力潜水艦で裁判がおこなれていると思った麻原の言葉を受けて作られた映像です。

文字が消える、日本列島が消える、サティアンが消える、死刑執行された麻原が消える…

飴屋さん、このままここに居てくれるのでしょうか?

15日に行った時は、飴屋さんの方を見ていいものかどうか戸惑いがありましたが、通り過ぎる時にちらりとみたら、目があって正直畏れを感じました。次の日再訪すると、飴屋さんの視点は始終下を向いていいて、目が合うことはなかったです(疲れているのだろうか…)。

会期中、飴屋さんはずっと居るのか、次行ったら消えてしまっているかも…。わかりませんが、気になるので、また足を運びたいと思います。


〜震災と分断と言葉〜

会田誠
『モニュメント・フォー・ナッシングIV』をシートで覆った作品(作品名分からず)

(撮影禁止のため、写真なし)

巨大な壁面を東日本大震災後の Twitter のつぶやきで埋め尽くした作品。2012年の『天才でごめんなさい』展で発表された際、Twitter のつぶやきを無断使用したとし炎上したが、会田さん自身は震災に対する反応として作るべくして作った作品である主張し、最終判断を Twitter 社に求めたそうです。しかし返事はなく、結局作品は会期中下げられることなく展示されました。

あれから8年経っていますが、まだ冷静な状態で見られない人もいるので、冷静に見られるようになるまで氷漬けにしておこうと、ホワイトシートを被せて作品内容は隠されています。


八谷和彦
『見ることは信じること』

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会田さんの作品と対をなすようなインスタレーション作品。95年の阪神淡路大震災後、報道は被害を受けた人の本当の言葉がないのでは?と<メガ日記>なる今のブログのようなものを立ち上げました。95年から96年にかけての100日間募った日記の言葉を、専用のスコープでないと見られない特殊電光掲示板に映し出しています。

報道では語られない、当事者によるリアリティのある言葉が、特殊なフィルターを通してしか見えないという設定は、見ることの心構えを促すものであると同時に、ある種のセキュリティ装置のようでもあります。


〜個室都市の日常、非難訓練的な日常〜

高山明
『個室都市東京』

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2009年に発表された「個室都市 東京」の再演。2009年の時は、池袋西口公園にプレハブの個室ビデオ店をつくり、観客はそこで公園内で撮影されたインタビューDVDを観るというもの。DVD鑑賞後に用意された「避難訓練」では、渡された地図を手に池袋の地下を抜け、マクドナルドのある雑居ビルの一室の、またもやフェイクで用意された「出会いカフェ」に到着し、マジックミラー越しに相手を選んだり会話するというツアーも用意されていたそうです(これも当時参加できていないことを後悔…)。

このプロジェクトは、高山さんが事情があって池袋のインターネットカフェやマクドナルドを拠点に避難生活をしていたときに、たくさんのホームレスに出会い、コミュニティを形成していることを知り、企画したとのこと。

DVD映像に映ったインタビュー手法は、1968年にTBSで放映された、寺山修司 構成、萩元晴彦 プロデューサー(萩本さんは、siteB でも展示している今村勉らとテレビマンユニオンを設立された方)の番組『あなたは…』を踏襲しています。
(さらに『あなたは…』は、『ある夏の記録』(1961 ジャン・ルーシュ、エドガール・モラン 監督)というヌーヴェルバーグ作品に影響を受けているらしいです。)

質問の仕方は実に端的で、インタビュイーの回答を受けた反応や予定に入れていない聞き返しは一切挟まず、次の質問に進む。全ての人に同じ質問をする。『あなたは…』では、都内20数カ所で、年齢、職業、性別、全てバラバラの人々829人に、17の質問をひたすら繰り返したものを編集しています。同じ声の調子で同じ質問を繰り返すことで、あまりに多様で複雑な人々をフラットに並べ、逆説的に個人を浮き上がらせていく。その不思議なインタビュー映像を観たときの衝撃は忘れられません。

『個室都市 東京』でもインタビュー手法はかなり踏襲していて、並ばれたDVD数(=インタビュー人数)もぱっと見200近い。2009年の展示ではもっと並んでいたかもしれません。

質問内容は『あなたは…』を踏襲しているものと、そうでないものがあります。

『あなたは…』を踏襲していている質問

・今一番欲しいものなんですか?
・誰がに愛されていると感じることはありますか?
・天皇を実際見たいと思いますか?
・祖国のために戦うことはできますか?
・あなたは一体誰ですか?

『個室都市 東京』ならでは質問

・マクドナルド難民を、どう思いますか?
・避難生活するとしたら何を持ち歩きますか?
・難民についてどう思いますか?

などがありました。

今回の展示は初出から10年経っていますが、いまだ色褪せず、インタビューはどれも夢中で観てしまうほどおもしろい。

そして、今回のアップデートとして、10年前にインタビューしたある2人に再び同じインタビューをした映像も、「避難訓練」の通路を抜けていくと出会えます。同じ人が10年後、同じ質問をされて答えると、答えが変わったり、同じだったりと、時代を表していて非常に興味深かったです。

個室が乱立する個室都市 東京。私たちは東京にいれば、望むかぎり、いつでもすぐに、低コストで個室に入ることができます。
一方、「出会いカフェ」に象徴されるような、人とつながりたい欲望もさまざまな形で存在していることも確か。個人に走るほど、関係性を渇望するような、複雑な欲望が絡まる都市を、私たちはどう見る?どう扱う?という問いに、直面させられるようなプロジェクトでした。


〜災害とエンジニアリング〜

渡邉英徳
『「忘れない」震災犠牲者の行動記録』

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岩手県における東日本大震災被災者のうち、居場所が判明した1326人のついての「地震発生時」から「津波襲来時」までの避難行動をまとめたデジタルアーカイブ。
被災地の立体的な航空写真と地図(Google mapではない)を組み合わせて避難行動が可視化されています。

被災者の印の赤い点が緩やかに少し移動したり、直線的にすごいスピードで移動したりと、移動の軌跡を俯瞰してみることができます。


〜遊びとシミュレーション〜

たかくらかずき
『摩尼遊戯TOKOYO』

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仏教シューティングゲーム。2015年『市街劇「怒りの日」』にて初出。

たかくらさんのnoteの説明(「摩尼遊戯TOKOYO完全攻略文」)によりますと

摩尼遊戯TOKOYOは、さまよえる様々な魂を『よし』の2文字でおさめ、功徳をつみながら常世を目指すゲームです。目指せ読経1,000,000回分の功徳!

とのこと。
ゲームの設定もすごいのですが(まだ全てを把握できてませんが)、ドット絵のビジュアルがかなり完成度高いです。「おぼえてろ」とか、言葉がたくさん飛んできて怖かったです。

1回100円でゲームできますので、会場に行ったらぜひ遊んでいただきたいです。

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以上《siteA 災害の国》展示レポートでした。
ここに載っていない作品は、時間切れで消化不良だった作品です。
後日再訪した後に加筆するかもしれません。

この展示では、我々が祝祭と災害を繰り返す歴史の流れの中にいるということを明確に打ち出し、死者を「慰霊」するとはどういうことなのか、始終向き合わざるを得ないような構成になっています。

そして展示全体にプロットがあり、互いの展示が借景のように関係し合っており、ある種、演劇的に組まれているとも言えるのではないでしょうか。

飴屋さんと佐々木敦さんの対談『演劇とは半々である』(「ゲンロン6」2017.6)で、飴屋さんはこんなことを言っています。

とにかく、引き受けたことは一生懸命やる。だけど、それがどうだったかを決めるのは他者。言ってみれば他人の欲望とのこれボレーションです。ぼくはよく「半々」という言い方をします。他人の欲望と自分、その半々というバランス。どっちかが強くなりすぎると違和感があって気持ち悪い。大雑把かもしれないけれど、いろんなことを半々でやると決めています。

半々というのは、すごくよい表現かと思いました。すべての人が半々であるとは限りませんし、状況によっても割合は変わるかもしれません。ですが、常にいくらか他人に預けている部分があり、それは展示会場内の作品同士や、作家とキュレーターの関係においても、もしかしたら作品と観客の間もまたしかり、なのかもしれません。

そしてそれはきっと危険なことでもあり、『個室都市 東京』の続きを考える上でも重要なことなのでは?という予感もあります。

2020年の東京オリンピックという巨大な祝祭のあとにやってくるものが一体何なのか、恐ろしくもあり、楽しみでもあり(というか楽しもうという気持ち)、この展示で得た視座がひとつの力になれば、と思います。

#01 《siteB 祝祭の国》のレポートはこちら

TOKYO2021 美術展『慰霊のエンジニアリング』
会期:2019年9月14日(土)〜10月20日(日)11:00-20:00 火曜定休
場所:TODA BUILDING 1F(東京都中央区京橋1-7-1)
Webサイト
※SiteBの会場は事前登録が必要です。

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