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考えすぎることについて

家族、友人、恋人、彼らからよく言われるともに自覚もあること、それは、些細なことも考えすぎてしまう性分のことである。私だって考えたくて考えすぎるわけではないのに、これがいつも私を苦しめる。先日、ある友人に指摘されて耳が痛かった。

「めちゃくちゃ考えられる頭持ってるのに、最終的にネガティヴな結論に達するんやな」

他人の発言や行動の裏にある何かを知ろうとして、他に用事が無ければひたすらに考え続けてしまう。思い出すたびに頭が痛くなる、落ち込む、怖くなる、そんな感じ。何が原因なのだろうか、とふと思った。今まで考えたことが無かった。ただ、日々に対する姿勢・態度が少なからず影響している気はしていた。どのような場所であっても発言権さえあれば、自分の考えを伝えたいから、それを躊躇することはほとんどない。しかし、臆せず発しているかと言えば実はそうではなく、憶病な自分を抑え込んで、必死で発信しているのである。発信する必要がある、発信したいという願望があるためである。自己の発信のたびに強い動悸と荒い呼吸を隠すのに必死なのである。

人に嫌われると自分のやりたいことを実現するプロセスにおいて障害が生じてしまう、という考えを持っているため、自己防衛?として大部分の人には嫌われないような振る舞いをいつも心がけている。ただし、ここで重要なのは、決して自分の意見を殺さないこと。殺さずとも、相手から拒絶されないアプローチの仕方はたくさんある。これは自分の得意分野でもある。
また、これは私のポリシーの一つなのだが、他人にされて自分が嫌だと思ったことは自分のように嫌だと思う人が他にもいるかもしれない、というスタンスで心に留めておく。一方、他人にされて自分が嬉しかったことは、嬉しくない人もいるということを絶対に忘れないようにしつつ、自分みたいに嬉しい人もいるんだということ、そしてどんな人なら嬉しいか、逆にどんな人なら嬉しくないか、を考えながら経験を蓄積して日々を生きている。これらはほぼ無意識で行っている思考プロセスの概要であり、自分でもいつからこれをやるようになったかは覚えていないが、おそらく小学校から中学校にかけていじめられたり人間関係に悩んだりした経験から自分を守り幸せになる方法を必死で求めてきたのだと思う。

しかし、こんなことが人間関係において仇になるとは思ってもいなかった。一定以上の親しい関係になった相手に嫌われることを「過剰に」恐れているのだろうか?恐れる必要はない、というスタンスを自然にとっている、あるいは目指している人もいるから、自分がそちら側になることも不可能ではないけれど…ここで吟味しようとしている自分はやはり考えすぎなのだろうか?それとも考えずに思考停止しているから表面上考えているように感じているだけなのだろうか。そもそも自己分析というようなものは必要なのか。

人生の短さについて。これは以前も別の記事で触れた、わたしの人生のバイブルの一である。「人生に迷ったらこれを読もう」みたいな安っぽいと以前は思っていたキャッチコピーが、今では自分の精神状態を保つ一手段となって常に脳裏にあり、実際この傾向は自分が浪人時代に得た性質のひとつであることから、この傾向を単に恥ずかしいことだと自分でレッテルを張る必要性がないと思い始めた。なんか苦しいな、でもはけ口がないな、そんなとき、自分は筋トレやランニングを始める。それに加えて精神状態の回復のために「この本を読もう」という本がいくつもあることに幸せを感じるようにさえなった。

人はそう簡単には変わらないという話と、人はこんなにも変わるという話。ふたつは全く同じ背景を持った人に対する評論ではないだろうから単純比較はできないけれど、それでも私はどちらも正しいと思うしそれはつまりどちらも正しくないと思うわけである。

考えすぎだよ、と言わないでただ見守ってくれているともだちが複数人いることもこれほど幸せなことがあるか、と思うくらい私は考えることが好きで考える自分も嫌いではなくけっこう楽しかったり苦しさも癖になったり、なんて書くとちょっとやばい人みたいになっちゃったかもしれないが…本音である。長い距離を走っていて呼吸が苦しくなったり局所の筋肉に痛みが生じたりすることがあったとしても、それさえも快感に思える自分はメンタル面でのそういう性質が反映されているのかもしれないし、実際は卵と鶏がどっちが先か分からないけれど、なんとなくそんな感じなのかな、と。スポーツ特有の、だとか、学問特有の、というなんでもかんでも区別して考えるのは好きじゃないし、なんか違うのでは?と思ってしまうし、ただ、分類して考えることの方が便利な場面ってのも世の中にはけっこうあるってこともなんとなく見えていて、だからどっちつかずでウロチョロしている。それさえも言い訳できないってわかってるから自分が最初に頭に浮かんだ優先的に考えている思想を捨てて別の誰かの意見や思想に耳を傾けたり目を傾けたり触ってみたりして、自分の形をなくそうといつも必死。自分は前も言ったけど、不定形で浮かんでる何か得体の知れないものだと思っているし思いたいしそうなりたいし多分そう。永遠ループって感じで渦の中。また渦の中、いつもいつもそう。

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