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矢代と百目鬼の妹は、表裏一体の存在?(矢代の人物造型①)『囀る鳥は羽ばたかない』
こんにちは! 鳴かない雉です。
『囀る鳥は羽ばたかない』関連の私の記事は、こちらで7本目。
どれだけ好きなんかーい! という感じですが、まだ書きたいことの半分も終えておらず…(笑)
『囀る』沼にどっぷりハマりすぎて、そろそろ全身ふやけてきそうです(笑)
さて、ファンがこのように『囀る』沼にハマってしまう理由は、緻密に練られたストーリーはもちろんのことですが、矢代という人物の魅力もとても大きいのではないでしょうか。
綺麗で、色っぽくて、ミステリアスで、寂しげで…
『囀る』の登場人物が、次々と矢代さんの魅力にヤラれていくように、我々読者も、読めば読むほど矢代さんに惹かれてしまうという。
ちなみに、実は私、初読では百目鬼推しでした。
元々ハイスペックなのに(一度人生に躓いたとはいえ)、それを活かしきれない不器用さや、自分の魅力に無自覚なところ、そして、ただひたむきに矢代を追い続ける姿は、一途という言葉を通り越して、もはや恐ろしいほどの執念…(笑)
そんな、百目鬼の不完全なスパダリぶりが目新しく、とても魅力的で。
BL漫画を読んでいると、完全無欠なスパダリが多く登場するので、逆に、百目鬼のような、少しポンコツさを感じさせるバカ正直なスパダリは新鮮なのかもしれません。
まさに、風邪ひき男は色っぽい、ですね。(百目鬼は色っぽさ担当キャラではありませんが)
しかし、再読を重ねるにつれ、百目鬼以上に、矢代さん沼にズブズブ引き摺り込まれてしまいました。
矢代という人物は、矛盾だらけで捉えどころがなく、理解がとても難しいキャラクターです。
感情と裏腹の言動をするだけでなく、自分自身にも嘘をついたり本音を見せないので、とにかく本意がわかりづらい!
考察難易度は間違いなく、SSランクの人物だと言えます。
しかし、ミステリアスでよく分からない人物だからこそ、その内面に興味が湧き、少しでも理解したいと思ってしまうのです。
ということで、今日は「矢代の人物造型」について考察して参ります。
矢代の考察は数回に分けて行う予定ですが、今回は、矢代と対比的に描かれている「百目鬼の妹」と比較することで、「矢代」という人物を少しでも理解できればと思います。
いつものように、私の独断的な解釈ですが、ゆる〜くお付き合いいただければ幸いです。
1.「矢代」と「百目鬼の妹」の対比
1巻101頁から登場する、百目鬼の妹「百目鬼葵」。
彼女は、過去に百目鬼が起こした傷害事件と、インポの原因であるトラウマの切っ掛けとなる、キーパーソンである。
それに加えて、矢代との類似点も多くみられ、矢代と対比的に描かれている人物でもある。
まずは、矢代との類似点・相違点を表にしたので、見比べてみよう。
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表のように、矢代と百目鬼の妹は、類似点がありながらも、対照的な存在であることが分かる。
その中で、特に注目すべき点について、述べていく。
【①性別の違いがもたらすもの】
子どもに対する性的虐待は、被害者の性別に関わらず、卑劣で許せない犯罪であることに変わりない。
建て前ではそうであっても、女児が被害者であるケースに比べ、男児の場合は表面化しづらい現状がある。(旧ジャニーズ問題からも、そのことが分かる)
それは「妊娠の可能性の有無」という身体面の相違もあるだろうが、さらに言えば、(一般的に)社会的弱者である女性よりも、男性の方が「被害者」として声を上げにくく、「自分が性的被害を受けた」ことさえ自認しづらい土壌があるのではないだろうか。
本作品においても、拉致されて性暴力を受けた竜崎の女について、矢代の次のようなセリフがある。
「女は大変だな 男ならケツがちょっと切れるだけで済むのに」(5巻205頁)
それに対し、影山が
「済まねぇよ 済まねぇだろうがアホ」
と返答するのは、医師としての立場だけでなく、身近でずっと矢代を見てきたからなのだろう。
さて、話を、矢代と百目鬼妹との対比に戻そう。
百目鬼の妹は、性的虐待を受けた結果、(七原が男と見誤るほど)自分の女性らしさを排除するような外見となり、対人(男性)恐怖症のような(1巻117頁)態度で、自分自身を守っていることが窺える。
それに対して、矢代は、自分が義父からされたことを「自分も望んでいた快楽」と思い込むことで、自らが性被害者であることを否定し、子どもの頃の心身の傷を上書きするような自傷行為(愛のない暴力的性行為)を繰り返すことで、精神の均衡を保ってきた。
(補足すると、義父の「痛がると子供ができちまうんだぞ」という言葉も切っ掛けとなっている。2巻138頁)
矢代の自傷行為も一種の自己防衛本能ではあるが、先に述べたように「自分が性的被害を受けた」ことを自認しようとしない、男性特有の意識も根底にあるのではないか。
このように、同じような卑劣極まりない虐待被害にあっても、性別によって「被害者としての自覚」や「被害の受け取り方」に違いが生じ、それが矢代と百目鬼妹との決定的な相違点になっていると考える。
上記とは関連のない場面だが、矢代のこんなセリフがある。
「女ねぇ。いっそそうなら(自分が女なら)何もかも簡単だったかなー」(5巻168頁)
矢代がもし女性であったなら、影山か百目鬼に守られ愛され娶られて(百目鬼よりかなり姉さん女房になるが、百目鬼は年増好きなので無問題)、もっと幸せへの道のりが短かったと想像すると、なんともやるせないが、そのストーリーだとここまで『囀る』沼にハマらないと思うので、あらためてヨネダコウ先生のキャラ設定の巧みさに唸る次第である。
【②守ってくれる存在の有無】
次に注目するのは、百目鬼葵には、性的虐待から救ってくれた兄の存在があったが、矢代には誰もいなかったということである。
このことは、後々の、矢代のセリフに繋がる。
「妹は良かったな お前がいて」(6巻115頁)
この場面で百目鬼は、矢代が自分を慰めてくれているのだと受け取ったが、矢代にとってはそうではなかった。(このような「話し手」と「聞き手」の誤認識は、本作品において何度も用いられている)
この時の矢代は、おそらく
『妹に(守ってくれる)百目鬼がいたように、自分にも守ってくれる存在がいれば…』
と思っていたのだろう。
また、1巻92頁にも、意味深な場面がある。
百目鬼が寝落ちしている間に、矢代は、百目鬼の背広のポケットから新聞の記事を見つける。(記事の詳細は146頁で明らかになる「百目鬼葵(19)が日本藝術新人賞を最年少で受賞という内容」)
その記事を見ながら、矢代は次のように思う。
『自慢じゃないが俺は俺のことが結構好きだ』
『俺という人間をそれなりに受け入れている』
『よって人を羨んだことはない』
『ただの一度も‐‐‐』
唐突に思える、矢代の心中思惟の場面。
しかし、ここにも矢代の孤独感が表れていると感じる。
名前と年齢、そして百目鬼が背広のポケットに大切に仕舞っていることから、「百目鬼葵」という人物が百目鬼の肉親であることを、矢代は容易に推測できただろう。(この時点では、矢代は妹の存在を知らない)
そして、肉親の新聞記事を切り抜いてわざわざ懐に入れておく、そんな温かい関係性に、憧れや羨ましさを感じていてもおかしくない。
だが、肉親の愛を知らず1人で生きてきた矢代にとって、それを羨ましいと認めることは、今までの自分のアイデンティティや人生を否定することになってしまう。
矢代が立っている足元は、とても脆い。
自分を偽って踏み固めてきた人生の土台は、偽りに気付いてしまえばすぐに崩れてしまう。
それ故の…
『自慢じゃないが俺は俺のことが結構好きだ』
『俺という人間をそれなりに受け入れている』
『よって人を羨んだことはない』
『ただの一度も‐‐‐』
だと思うのだ。
実の母さえ守ってくれず、ネグレクトと性的虐待を同時に受けながら、ずっと1人孤独に生きてきた矢代にとって、百目鬼の妹は、「シンパシー」を感じる相手でもあり、羨ましく思う相手でもあっただろう。
「妹は良かったな お前がいて」と言う場面の少し前で、
雨のなか仲良く一つの傘を分け合う親子から、矢代が目を逸らすシーンがある。(6巻91頁)
その次のコマでは、車の中でひとりぼっちの矢代に暗い雨が降り注いでいる情景が描かれており、そこには、今までの人生で誰からも傘を差しのべられることのなかった、矢代の孤独と寂しさが表現されている。
たまらなく切なく哀しい場面だが、救いはある。
その直後、百目鬼が車に乗り込んでくるのだ。
ひとりぼっちだった矢代の隣に。
それも、矢代のための傘を携えて…
これは、子どもの頃に誰からも守られなかった矢代を、これからは百目鬼が守り続けていく……そして、近い将来、矢代を孤独や寂しさから救いだす……そのことを暗示していると信じたい。
【③大切な人をヤクザから守ろうとする】
最後に挙げるのは、大切な人をヤクザから守ろうとする、矢代と百目鬼妹の類似点についてである。
矢代は、地上げから影山を守ろうとし、その代償としてヤクザになったのだった。(2巻214頁)
影山のために、三角に土下座し、三角の愛人となることにも了承する。
惚れた相手のためなら、自らを犠牲にすることも厭わない。
まさに無償の愛がそこにある。
そして、百目鬼の妹も、百目鬼をヤクザの世界から抜け出させようとする。
対人(男性)恐怖症である葵が、ヤクザである矢代に、
「(百目鬼にヤクザを)やめさせて…っ やめさせて…下さいっ あなたなら………できるんでしょ!?」(1巻112頁)
と頼むのに、どれだけの勇気がいったことだろう。
矢代に断られても、葵は諦めずに何度も来る。
それは、影山のために、何度も三角の元を訪れた、若き日の矢代の姿と重なるのである。
そして、そのことが後々の展開に繋がっていくと、私は解釈しているのだが、それについては次項で述べたい。
2.「矢代」はなぜ「百目鬼と妹」を助けたのか
なんだかんだ言って、矢代は部下思いで面倒見が良い。
それは、七原に関するエピソードからもよく分かる。
しかし、まだ部下になって間もない百目鬼と、その妹への対応が、異例であることは、
「あの人にしちゃ珍しく世話好きだな 俺はまた面白がってんのかと思ったんだけどな」(1巻141頁)
との、七原のセリフからも窺える。
最初は、百目鬼の元カノだと誤解した矢代だったが、妹だと分かると、今度はどういう事情なのか興味を持ち、百目鬼から聞き出す。
事情が分かった後は、妹をお茶に誘ったり、百目鬼をわざと怒らせて妹と話ができるように取り持つ。
そして、百目鬼から
「妹にはたまには連絡をすることになりました」
と報告されると、
「んなこと俺に報告してどーすんだよ」
と言いながらも、百目鬼に妹からメールが来ると
「へーっ見してっ」
と、メールの内容に関心を寄せるのである。(2巻38頁)
ここまでの展開でも、百目鬼兄妹に対する矢代の思い入れは特別なものがあるが、それ以上に着目したいのは次の点である。
・「(百目鬼兄妹の仲を取り持った直後)頭がお前に”明日から暫く顔見せんな”とよ」(1巻164頁)
・「暫く来んなっつったのは お前にムカついたからじゃねぇ」(170頁)
・「お前もしやめたくなったら早めに言え 今ならまだ間に合うから」(175頁)
上記のように、矢代は、気に入っているはずの百目鬼を、ヤクザの世界から遠ざけようとしているのである。
まるで、前項で述べた「百目鬼葵の頼み」を叶えるかのように。
そして、時は流れて6巻へ。
そこでは、平田との一件で重傷を負った百目鬼の元に、母親と葵が面会に来ている場面が描かれている。(203頁)
そのシーンでは、
「これであいつも家族んとこ帰れんだろ」
「誰が連絡したんすかね」
「病院の人だろ?」
という、七原と杉本のセリフもある。
母親や葵と会話している百目鬼を、遠くから矢代が見つめていることから、家族に連絡したのは矢代であることが仄めかされている。(葵から百目鬼へのメールを見ているのでその時アドレスを知ったか、もしくは大学名や本名を知っているのでいくらでも連絡先は調べられただろう)
5巻で肉体的に結ばれた百目鬼を、その後、矢代が捨てようとするのには、
「こいつ(百目鬼)を受け入れたら 俺は俺という人間を手放さなきゃならない」(6巻88頁)
という、矢代のアイデンティティにまつわる切実な理由もあった。
そして、自分のために生命さえ差し出そうとする百目鬼を、安全な場所へ、家族の元へ帰そうとする、矢代の親心(愛情)もあったはずだ。
そして、それは同時に、1巻の
「ヤクザをやめさせて下さい」
という百目鬼葵の頼みを、矢代が叶えたということにもなる。
今まで述べてきた通り、矢代は自分と同じ虐待被害者である百目鬼葵に、シンパシーを感じていた。
その反面、本音では羨ましい想いも抱いていただろう。
矢代と百目鬼葵は、いつどこで入れ替わってもおかしくなかった表裏一体の存在で、だからこそ矢代は百目鬼兄妹に並々ならぬ思い入れを持ち、助けたのではないだろうか。
百目鬼葵を助けることは、(無意識ではあろうが)矢代にとって過去の自分を助けることと同様だったのではないだろうか。
結果的に、百目鬼は矢代と同じ世界で生き続けることを選んだ訳だが、百目鬼の見舞いに来た葵の表情は、1巻のような悲愴なものではなかった。
きっと、葵の魂は真の意味で救済されたのであろう。
3.結論
以上、矢代と百目鬼葵を比較することで、矢代の人物像や行動原理について、考察してきた。
結論として、矢代と百目鬼葵は表裏一体の存在であり、葵が百目鬼と矢代から救われたように、今後矢代が救済される過程が丁寧に描かれるのではないかと予想する。
というのも、物語のキーパーソンとはいえ、1巻における葵の登場シーンはとても多い。
葵の悲愴な想いが丁寧に描かれているからこそ、6巻の葵の表情に我々読者は安堵するのだ。
矢代の魂の救済は、本作品の根幹であり最大のテーマであるので、きっとヨネダコウ先生は、葵以上の安堵と満足感を我々に与えてくれると信じている。
「こいつ(百目鬼)を受け入れたら 俺は俺という人間を手放さなきゃならない」
と考えていた矢代が、矢代のトラウマに(6巻末で)気付いた百目鬼を、4年という歳月を経て受け入れることができるようになり、救済される未来…
井波からレイプされたことでインポになったことを、矢代自身は「因果応報」と呟いていたが、矢代が百目鬼兄妹に与えた深い情は、きっと矢代を生涯守る温かい傘となって返ってくることだろう。
百目鬼力によって。
またまた長〜い私見を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました_(._.)_
実は……今回もっと書きたいことがあったのですが……分量がさらに倍!になりそうで断念しました…(笑)
ということで、矢代さんの考察はまだまだ続きそうです。
結論部分で、矢代さんの魂の救済についても述べましたが、個人的には、なかなか一筋縄ではいかないと思っております。
というのも、矢代さんの人格は、土台が傾いているのに、その上に延々と積み木が斜めに積み上がっているのと同じような状態で、一度崩れてしまうと全てが崩れ落ち、その時の痛みの大きさ、さらにそこからの再生ということを考えると、かなりの苦しみと時間が伴うのではないかと。
矢代さんと原因は違えど、私自身もアダルトチルドレンで、過去にその痛みと再生の苦しみを経験した1人であります。
また、そのことも別の機会に参考としてお話しすることができれば…
ということで、またお読みいただければ幸いです!
※新米腐女子なため、先行研究・先行考察・先行書評に目を通せておりません。こちらには独断的な解釈・感想を述べているだけですので、ご了承くださいませ。