61歳パパの子育て。3歳の息子が釘付けになった映画とは?
「えっ、パパお出かけするの?」
って顔しながら、3歳の息子に見送られた。
23日、隊員で友人のジョンとKindle出版打ち合わせを兼ねた飲み会 in 横浜石川町。
ヘルシーな沖縄料理&泡盛バー「うるうるま」から「お好み焼きころんぶす」はしご酒。
24日、クリスマスイブは2003年2月、シンマさん(新間竹彦)が主催した異業種交流会、「21時から倶楽部」最後の定例会。Xmasイブ、デイキャンプBBQ@城南島海浜公園に参加した。その前の年、2002年の「わらし仙人」即興劇セミナーからの付き合いだから、もう20年になる。
俺は4回目の会、会員証No.19番から参加したのを憶えている。この4回目で一緒に呑んだ友人ぴろこちゃん(高橋浩子)が2003年12月、高橋浩子(著)「ファン(継続読者)が増えるメルマガ 消えるメルマガ」でメルマガ成功者7人衆の一人として俺のインタビュー記事を載せてくれたことで、一気にインフルエンサーとして上り詰めた。この頃の旅の参加者は100%メルマガ読者だったのだ。
2003年7月、ベストセラー「社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった」著者、香取さん(香取貴信)と一緒に俺は異業種交流会、「東京非凡塾」を立ち上げ、あっと言う間に塾生は1,000人になった。それに伴い、「21時から倶楽部」もピーク時は200人くらいに膨れ上がった。シンマさんに「隊長の非凡塾メンバー1,000人と、21時から倶楽部200人は、ほぼ被るんで、うちと吸収合併しよう!」って言われてた矢先、俺は代表幹事を降り、絶頂期の1年半で活動を中止、「東京非凡塾」を解散した。
募集開始して一晩で100人会場のキャパを超える申込があった時代だった。また、セミナーで100人だったのに、打ち上げに120人が参加することもあって、飲み会会場が参加者で溢れ、立ち飲みする人が続出、運営側もキャパオーバーなんてこともあったのだ。この異業種交流会から、当時、すでにベストセラーになっていた「ウケる技術」著者でミリオンセラーになった「夢を かなえるゾウ」著者、ケイヤ(水野敬也)など、著名な著者・講師も多数生まれた。
「21時から倶楽部」の最後の定例会は50代と60代のオッサン4人で楽しくBBQ+2軒はしご酒で幕を閉じたが、シンマさんのおかげで、20年の付き合いが途切れなかったことに感謝している。
「21時から倶楽部」は、「東京ドームで野球」、 「銀座で個展(という名のグループ展)」、 「ホテルの高い部屋を貸し切っての出版しようぜパーティー」 、「10代を真剣に考える一日」(全5回) 、「銭湯を貸し切ってのビールかけ」なんて、たくさんのおバカな企画があった。
中でも、俺の人生を変えたイベントがあった。小田くん(小田真嘉)が司会進行を務めた、第3回、「10代を真剣に考える一日、キラキラ輝く大人の見本市」では、歩(高橋歩)、こーちゃん(本田晃一)、俺の3人のトークライブをやって1,000人の会場を埋め尽くした。それがきっかけとなって、歩の本に何冊も「地球探検隊」が紹介されて隊員が増え、また本田こーちゃんとは「ドリプラ」で共にコメンテーター(審査員)を全11回務めた。「出版しようぜパーティー」では、出版プロデューサーと繋がり、2006年、「感動を売る!」で出版デビューすると、全国から講演依頼が殺到し、劇的に俺の人生が変わった。また、後に紙の本4冊、Kindle本2冊の出版に繋がった。
頻繁に会えなくても、みんな俺にとって大切な友達だ。シンマさん、お疲れ様、そして、ありがとう。「21時から倶楽部」の定例会は無くなっても、関係が消えるわけじゃない。これからも、よろしく。
25日、クリスマスは家族でゆっくり過ごした。
外で思いっきり息子と駆けっこして遊んだ後は、Netflixで「ポーラーエクスプレス」を家族で観た。1時間39分。息子は初めて最後まで映画にくぎ付けになった。しかも英語と日本語字幕!。今まで大好きな「トーマス」も「ウルトラマン」も3分で飽きていたのに・・・。
ばあば(お義母さん)からラジコンをプレゼントされた息子、颯馬(ふうま)はご機嫌。俺はクリスマス料理の差し入れに、ビールにワインでほろ酔い気分で幸せ。
4年前、埼玉県越谷市の持ち家マンションで57歳の誕生日と娘たちと過ごした最後のXmas。妻が亡くなって父子家庭になって、会社が無くなってガテン系の肉体労働の日雇い労働に励んでいた。もう10年前くらいに感じる。
今、つくづく思う。人生ってホントわからないものだね。ずっと家族と仲間に支えられてきたことに改めて感謝。
以下は、3年前の家族が揃ったクリスマスの思い出。