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ヤノマミ

ヤノマミの存在を知ることができたのは、絵描きののなかちゃんが遊びに来たときに、お米みたいな模様をひたすら描きながら「大学でスゴく面白い授業があって」と教えてくれたから。「少女が一人森で子を産み、人間にするか、精霊のままかえすかを選ぶ」という聞いたことのない風習により、印象に残っていた。最近、出掛け先で『ヤノマミ』(国分拓 著/新潮文庫)に出会ったので買って読んでみた。150日間、広大なアマゾンでヤノマミの暮らし、死生観に触れたノンフィクションだ。「人間について自分達は何か勘違いを起こしているのではないか」と考えることとなった。


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自分は一体、人間についての何を知っているのだろう、何を人間だと思っているのだろうと思った。学び、働き、法に括られ、その範囲内で生きる今、自分はそのなかでも随分と「自由にやっている」ほうだ。けれども、免許証や住所、税金の書類を見るたびに「管理されているなあ」といつもおもう。スイッチを押せば明かりがつき、蛇口を捻れば水が出る。なんていい暮らしなんだろうと思う。一方、共に生きるために何がよくて何が悪いのか、あらゆる前提を敷きあって、その上で暮らしている。だから例えば、「あなたは産んだ子を育てますか?殺しますか?選んでください」と言われれば「何を言っているのだ?」となるでしょう。


ブラジルの密林に暮らすヤノマミは、わたしの暮らす文明社会と切り離されていた。文字を持たず、狩りで捕った動物を食べ、病は祈祷で治す。わたしたちが失った、あるいは遠ざけた方法で生きる原住民だ。その中でも特に距離があると感じたのが「精霊」の存在だ。生まれたばかりの子は人間ではなく精霊であり、母親が抱き抱えることにより人間になる。母親は一人森で子を産み、人間として育てるのか、精霊のまま天にかえすのかを選択する。精霊のまま、という場合は、出産で苦しみ疲れきった母親が、産んだその場で子を絞め殺し、白蟻の塚にいれ喰わせる。


わたしの暮らすこの場所では、多くは死を遠ざけ、死なないように生きようとする。生まれたものは当然に生かすし、そうしなければそれなりの罪が与えられる。母親の子殺しなんてもってのほかだろう。身近に狩猟に関わる方がいるものの、わたしは加工された肉を買う。病気にならないための暮らしをするし、患えば病院へいく。遺体を焼くときは見えない場所で、焼く間は親戚と駄菓子を食べて待つ。だから死との距離を感じるし、すぐに忘れる。死はきっと、わたしが冷蔵庫から牛乳を取り出すくらいに日常的なことなのに。


ヤノマミと死の距離感は、おそらくわたし(たち)とは随分と違う。子を殺した母親はトラウマを抱えるとも書かれているが、それでも異なるのだろう。こちらの感覚でヤノマミを捉えたときにやはり特筆することは彼らの「人間か、精霊か」という風習だと思う。けれども、それはこちらと彼らの価値観の距離がそうさせているだけであって、彼らの生活のなかで特別かといえば、そうでもないように感じた。


ヤノマミは祈祷で病を治すとも書かれているが、不思議な力があるわけではない。保護団体が薬を与えたり、予防接種を施したりすることによって死亡は激減したという。それにより何が起きるのかといえば、精霊のままかえされる子どもと、子どもを殺す母親が増えるということだ。「人間か、精霊か」の判断は母親に委ねられているとはいえ、それは単に気分で決めているわけではなく、経済や合理の揺らぎに沿っているのだ。


この本を読んで、人間は同じように管理されている者ばかりではないという安心感を得た。マサイ族だってFacebookをやっている今、人間は文明化社会という同一のフィールド上で生きている者ばかりだと思っていた。解釈は違えど同じ世界史をもち、貧富の差も、発展の具合も、法の違いも、文化も価値観も、ある軸からどれだけ離れているか、それぞれがどのように異なるのか、比べることができるようになりきっているのだと思っていた。けれどもそうでもないようだ。


ヤノマミは管理されていないと書いたが、開拓・密猟者から守るために森は保護区となり、彼らの住む場所の近くには保健所がある。彼らは私たちとは同じような管理のされかたとは異なるが、絶滅危惧種の動物と同じように、野生の人間として管理されているようにも思える。少しずつ文明に触れ、ヤノマミの暮らしも変化しているという。本が書かれてから10年が経った。現在のヤノマミがどのようになっているのかはよく分からない。


今後、価値観の多様化は止まらないだろう。けれどもそこには「共に生きるうえで」という言葉もついてまわるだろう。生きることが前提となり、死は余計に隠されるのだろう。あらゆることに理解を深めたつもりが、見えないものをつくりだし、想像の及ばない場所へと追いやってしまう。わたしたちは人間として生きようとするほどに人間についての勘違いを重ね、空想上の人間を作り出し、そのような人間として生きるのだろうと思った。わたしは問つづけたい、わたしが人間だと思っているそれは、いったい何なのだろう?

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