見出し画像

【キャラ立ち】←【ご都合】→【ストーリィ】(第8回・完結)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、先日より以下の【よくあるお悩み】に対して、とあるきっかけから【突破口】ともなり得るポイントの数々を【考察】しております。

 ◇

【よくあるお悩み】
・【登場人物】が【キャラ立ち】すればするほど思い通りに動かせない
 →【ストーリィ】の進行や展開が不自然になって、【ご都合臭】が強くなる
・【ストーリィ】を先へ先へ進めようとすればするほど、【登場人物】の人格に合わない展開になって【ご都合臭】が強くなる
・【登場人物】の人格を奥深くまで表現して【キャラ立ち】させるには、これを描き出す【ドラマ】が薄くなりがち
 →状況、つまりシチュエーションのヴァリエーションが増やせない
・【ストーリィ】に『あっと驚くような展開』が盛り込めず、展開が無難・平坦になりがち(盛り上がらない)

 ◇

 第1回で通説(※1)として、福井晴敏先生が引用した押井守監督のお言葉をご紹介しました。(『テアトル東向島アカデミー賞/福井晴敏先生』集英社・240ページより)

【引用】
 押井守監督曰く、作劇は「ストーリーが進行している間はドラマが止まり、ドラマが進行している間はストーリーが停滞する」もの(※1)
【引用終わり】

 ただし、福井晴敏先生はこうも記しておいでです(※2)。

【引用】
「(著作である『亡国のイージス』は)人物の葛藤(ドラマ)が状況(ストーリー)と有機的に絡み合い、ドラマの進展がストーリーを動かす構造になっている」(※2)
【引用終わり】

 私の意見としては。
「“【ドラマ】・パート”と“【ストーリィ】・パート”、および“戦闘パート”は、(技巧を要するものの)同時進行させることが可能」(※3)

 その根拠として考えているイメージは、以下の通り。
 【物語】上の事態は複数の【登場人物】達によって、複数の場所で、【多重並列】の【潮流】として進行します。それが合流し、相互作用し、その結果を持ってまた分岐し、そうやって【ストーリィ】は進行していくわけです(※4)。

 【物語】は、『複数の【潮流】が【多重並列】に同時進行しているもの』を、『【演出意図】を込めて一本に編集したもの』――そういう捉え方ですね。

 しかしながら、【登場人物】は『(自分事なので)思い通りに事態が推移すること』を望み、一方で【観客】や【作者】は【ストーリィ】に『(他人事なので)あっと驚く(【観客】としての自分自身や大半の【登場人物】達には想像もつかない)展開で【想定外の困難】が克服されていくこと』を望む、という【不都合】な【現実】があります。これを無視して強引に【物語】を進めるとき、そこには【ご都合】臭が漂うものと、私は【認識】しております。

 この【ドラマ】と【ストーリィ】を両立させる鍵として、【想定外】という【概念】をご【提示】しました。で、この【想定外】の出どころは――というに、『【物語】となる【潮流】の中ではなく、【多重並列】に進行する別の【潮流】から』と、私はお答えしています。

 この【潮流】と【想定外】が、いかに【物語】と【登場人物】に関わるか、その関係性について【我流】の【考察】をお伝えしてきたわけですが。

 こうした【物語】や【登場人物】を魅せていくに、私が重んじているのは【主観】です。
 つまり方針としては、【登場人物】と【観客】の【主観】を重んじることで、『【ドラマ】や【ストーリィ】を押し付けずして印象付ける』ことも可能になるであろう――という【考察】ですね。

 今回は完結の第8回。これに汎用性を持たせる形で【考察】を拡げてみることにいたしましょう。

 ◇

 これをもう一段、汎用性を持たせるよう【考察】してみましょう。

 【我流】で【解釈】するところ、【ドラマ】とは、『ある状況に置かれた【登場人物】達の(広義の)アクションとリアクション』です。
 ならば。
 『【ストーリィ】の断片』である『【事実】(フラグ)の並び』と、【ドラマ】である『ある状況に置かれた【登場人物】達のアクションとリアクション』、これらを『お題』として『n題噺の小【ドラマ】』として【構成】してしまえば、さてどうでしょう。
 ここでも『【ストーリィ】と【ドラマ】は共存できる』ことになります。

 ただしここで要注意。成り行きの展開のみでは、【ドラマ】としても面白くなりませんし【ストーリィ】も進行しません。よって『n題噺の小【ドラマ】』には、先述しました通り【想定外】を盛り込むと良さそうです。
 ここで【想定外】を、先述のように『【多重並列】に存在する【潮流】からの影響』としてみれば、さてどうでしょう。この【潮流】は【伏線】としても機能しますし、『【作品世界】の拡がり』を【描写】できることにも繋がります。
 特に三人称視点、カット・バックで『【多重並列】に進行する【潮流】』を【描写】するなら、これは巨大な利点となりますね。ですがもちろん、【描写】を一元的に(主人公に)集約するにしても、この考え方は役に立つであろうことが期待できるのではないでしょうか。

 これを『【観客】が【ドラマ】や【ストーリィ】を【主観】で読み取る』と考えてみるとき、果たしてどうなるでしょうか。
 先述の通り、【我流】では『【主観】は【観客】と【登場人物】のもの、【客観】は【作者】のもの』です。ここで【作者】は、『【事実】(フラグ)の並び』を【客観的】に提示する』ことに徹するわけです。ただしもちろん、提示の仕方に【演出意図】は込めるわけですが。

 この場合は【観客】が自ら【主観】で(【ドラマ】や【ストーリィ】を)読み取るわけですから、もちろん【説明】は基本的に入りません。【作者】に「こう思って!」とは言われないのがポイントです。
 すると今度は、『現場に居合わせたかのような臨場感』が【観客】の印象として刻み付けられる――そんな可能性が期待できるのではないでしょうか。
 何せ【ドラマ】も【ストーリィ】も、そこには込めてあるわけです。すると【説明】こそありませんが、【現実】を見慣れた【観客】の眼に、『n題噺の小【ドラマ】』はこう映るのではないでしょうか――『【現実】より、よほど意志や方向性が明確になったやり取りが展開されている!』と。
 さらには【想定外】も盛り込まれています。それに伴い、【登場人物】も心理を揺さぶられて心理の奥深く、思考の奥深くをさらけ出します。剥き出しの【ドラマ】が、そこでは展開されているのです。さらに状況も進行し、つまりは【ストーリィ】まで存在します。【想定外】はここでも効能を発揮しますね。何せ『【想定外】のせいで、どこへ【ストーリィ】が展開していくのか予想がつかない』というわけです。

 さらにここで、『【多重並列】の【潮流】』という【概念】は、『【ドラマ】と【ストーリィ】(状況)』の関係性にも適用することができますね。例えば【ドラマ】を【表層】、【ストーリィ】を【深層】で進行するもの――と捉えるように。
 何かと申せば、『【意味付け】の重層化』とでも申すべき現象が、ここでは生じているわけです。『眼の前で【登場人物】達が展開している葛藤は、もちろん【ドラマ】なのだけれども、(【想定外】が入るおかげで)同時に【ストーリィ】としても進行・展開している』わけです。これだけではありません。『さらには【想定外】の出どころに思いを馳せる時、“他所で進行している【潮流】”の存在やその影響にも気付くことにもなり、これがまたさらに【伏線】として機能する』ことにも繋がります。

 これらの効能が、ここまでお話ししてきた内容を元に『n題噺の小【ドラマ】』を連ねていくことで手に入り得るのです。しかも【観客】が読み取り切れなかった部分が多少あるとしても、それ自体は【物語】を楽しむ上では何らの枷にもなりません。なぜならこれら効能は【付加価値】であり、つまりは【観客】に読み取られずとも、『眼の前の【ドラマ】と【ストーリィ】』さえ【観客】に楽しんでもらえれば、【物語】としては成立してしまうのです。【付加価値】とは『【多重並列】かつ縦横無尽に張り巡らされた【事実関係】即ち【伏線】の数々』であり、『【作品世界】を巡る【潮流】の数々』であり、また『【登場人物】と【観客】の【主観】に【判断】を委ねた懐深さ』であり……と、多々挙げることができますね。
 こういった数々の【付加価値】を、【観客】が【主観】で読み取るわけですから、『【作品】としての観え方』はさて、どうでしょう。『汲めども尽きせぬ【意味付け】の泉』のように、どこまでも【奥深く】映るのでは――とは、あながち【期待】のしすぎというわけでもなさそうです。

 これら数々の効能を引き出すポイントは、実は決して数多いわけではありません(ポイントに基づいた作り込みは相応に必要ではありますが)。

・シーン(カット)の基本構造:
  『“入り”の状況』
 →『【登場人物】達の【順当】な行動による葛藤(【ドラマ】)』
 →『【想定外】の発生』
 →(『【想定外】に対する【登場人物】達の葛藤(【ドラマ】)』:省略可)
 →『“引き”の状況』
・『スクリーンの裏、フレームの外の存在感を醸すためなら、カメラに映らなかろうと(【描写】の機会がなかろうと)【作品世界】を作り込む』という考え方
・【多重並列】の【潮流】管理
・『(TRPG)のプレイヤのロール・プレイ』に相当する『【登場人物】の人格』の作り込み
・『【ストーリィ】(状況)の進行に相当する【事実の断片】』を『お題またはフラグ』の数々(数量:n)として【認識】し、これを『n題噺という小【ドラマ】で魅せる』、というシーン、カット、章など各レヴェルでの【物語】【構成】
・『【主観】は【観客】と【登場人物】のもの、【客観】は【作者】のもの』という考え方に基づく【演出】

 こういったポイントに基づいて【物語】を築いていくことで、ここでお話しした効能の数々を手にする、そのチャンスは劇的に増大するはずです。

 もちろんこの内容が全て、などとうそぶくつもりはありません。別のアプローチがあってもいいわけですし、異なる考え方に基づいた方法だってあるでしょう。ここでお話ししたことは、あくまでも私なりに【ご提案】するアプローチ――と捉えていただければ幸いです。

 ここで申し上げたいのは、要はこういうことです――『通説や通論は、絶対普遍の法則ではない。【挑戦】してこそ、【突破口】が見えることもある』。

 ご参考になれば幸いです。

 皆様のご健闘をお祈りいたします。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

(マガジン)


いいなと思ったら応援しよう!