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セクシーとは何ぞや

 前回から、引きずっているのですが、ドストエフスキーは、登場人物に憑依する感じが、とてもストイックです。
40代で再婚したのが、20才のアンナです。
ドストエフスキーは、かなり破天荒な天才です。
賭博にのめり込む彼に、献身的にともすれば母のように尽くすアンナの愛情も、不思議と理解できるのは、私が女だからかもしれません。
盲目的になにかにのめり込む男は、とてもセクシーに見える時があります。
それは、不可思議ですが、男に対する女と言う立ち位置限定のように思います。
『罪と罰』のラスコーリニコフも、最初こそ理屈っぽくて面倒なやつでしたが、途中からは、そのストイックさごと抱きしめてあげたいと思う程セクシーでした。
しかし今の時代に、もしこんな男がいたら、確実に避けて通るでしょう。
このストイックなものをセクシーだと思う背景には、感性に身を任せて、知性を放棄するという感覚があります。
共に、落ちていく感覚を持って、陶酔することがセクシーと思われていた時代には、不倫とか、所謂ダークな表現が、映画なんかでも多かった気がします。
セクシーさも、時代の変遷とともに変わってきています。
性的な表現が、イコール、セクシーという時代を経て、昨今のセクシーはあらゆる方向に転換しているのかと思います。


 たとえば、村上隆さんはアニメやアイドルをアートで表現することで、セクシャリティーを誇張しています。
ある意味、オタク文化をセクシーに昇華させた感があります。
人それぞれ感じるセクシーはそれこそ多様になってきています。
かならずしも、自分を投下させなくても、成立するセクシーです。
1860年頃のドストエフスキーのストイックな生き方も、充分セクシーですが・・・。


 最近見たものでは、東京ガールズコレクションのコンテンポラリーダンスです。  
織山尚大さんと伯井太陽さんによるダンスです。
伯井さんは中2で、マイノリティだからか、生意気だとかいろいろ言われてるみたいですが、これ凄く迫力があって、なおかつセクシーでした。
もう一つ二人で踊ってるのがあるのですが、Mrs  GREEN  APPLE  の曲での二人のダンスもまたエネルギーに満ちて、心に共鳴しました。


 今回、色恋とセクシーを切り離して考えたのですが、恋の延長線上にないセクシーも、身体ごと震わせられるものだと、私は思っています。
感性が刺激されることは、心のエネルギー補給です。
結局のところ、セクシーにおいて、感性と知性は同居できないのでしょうか?
なんか考えるほどに、しょーもない気がしてきました。
無理に同居させる必要もないのかと・・・・。

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