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前提の慣習
知らず知らずのうちに慣習の中で行うことが当たり前になっているから、そこから外れることができず、外れてしまうのが怖く、外れないようにしてしまう。
慣習とは便利なもので、それを守っていれば、その範疇の中にいれば、いちいち説明する必要も無く、立ち位置は守られ、暗黙の了解も通るから楽である。
慣習以外のことを行ったところで評価の対象にならないから関係が無い。いかに慣習の中で新しいことを見つけ発展させるかが問われる。慣習自体を疑うこともできるが、それをやるのは効率が悪く賢いやり方では無いので、誰もやりたがらない。
結局、慣習も所属が問われるのと同じで、前提条件みたいなものだから、それは素直に受け入れて、そこから先を新しく構築することに頭を使うことが、やはり、慣習のようだ。
ただ、慣習を都合よく扱うこともできて、それは、慣習から先の部分を最初に新しく構築し、それに合わせて慣習の解釈を都合良く変えることもできると考えている。そうすれば、慣習を都合良くカスタマイズあるいはアップデートできて、それを前提にできるから、それはそれで素晴らしいはずなどと夜な夜な考えているしだい。
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