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「正しい論理的な人」が苦手というお話
こんにちは、はじめまして。中森そらです。
今日もnote読んでくださり、ありがとうございます。今日のお話は「論理的、正論」ということばが怖い、苦手...という方は、読んでみると共感していただけるかもです。逆に、好き、な方は読んでもあまりしっくりこないかもしれません。
お風呂あがりにぽけーっとTwitterを見ていると、「正論だとかで論破してくる人苦手、正論が全てじゃない」(大まか)といったつぶやきが目に入りました。それに共感して(乗っかって?)このnoteを書いています。
「正論」「論理的」が苦手
僕は「正論」「論理的」という言葉があまり好きではありません。この、なんというか、人間味が無い、というか、「人間の感情に寄り添ってない感」というのか、上手く言語化できないですが(このnote書き上げるまでに上手くスパッと表せる言葉が降ってこないかな...)、その感じが苦手なのです。
バイトの先輩
大学時代のバイト、サークルとか部活の部室がたくさん入っている建物を管理するバイト(部室の鍵の受け渡しとか、コピー用紙の販売とかを窓口でする、みたいな)をしていたのですが、学生が授業を受けているあさから夕方までは、事務員さんと言って学部が雇ったパートさん(皆さん主婦の方だったと思う)が3人くらいいて、窓口に入ってくれていました(夕方から夜の閉館までは学生が窓口に入る)。
その中の一人(仮名:田中さん、とします)が、お仕事中かなり辛そうにしていたこと、僕とのメールとのやり取りのなかでダブルワークで疲れていること、その他いろいろありましたが、肉体的にしんどそうなのが、見て取れました。
そのバイトの会議的なので、僕はまだしたっぱという立場であまり積極的には発言できないし、もし自分が「田中さんが辛そうで...」とでしゃばったところ、田中さんが望まない形で退職するなんて運びになったらどうしよう、とか考えて会議では発言できずにいました。
その後、先輩に相談するチャンスがあり、もし田中さんが少しでも楽になるなら(というだけでなく、問題を見て見ぬふりをしている自分も苦しさから解放されるなら、というのも正直なところあった)と、打ち明けたところ、
「そんなんいちいち気にしてたらこっちも世話ないし、こっちがどうにかしなきゃいけないもんでもない」
と言われてしまいました。
言われた僕はなにも反論できませんでした。「確かに、そうだな。それが正しい」と思わされてしまったからです。今から振り返って考えても正しいことだと思います。
僕はこの時に「正しいとか論理的に正しいとか、ものすごい無力なことなんだな」と、全身から力がスルスルと抜けていくような感触を感じました。
サークルの友達
もう一つ、僕には大学のサークル知り合った、週に一回くらいの頻度で会う友達がいました。本当にたくさん話したし、花火見に行ったりとか、映画観に行ったとか、たくさんする友達以上、と言ってもいい存在でした。
3年の秋ごろ、僕は大学院に行くか、就職するかで、とても悩んでかなりメンタルに傷を負っていました。その時にその友達に会うことになり、友達は自分の様子に気づきたのか、
「自分はまず、どうしたいの?」
「いやでも、その選択はおかしいよ」
「もうちょっとマジメに色々と考えた方が良い、いい加減すぎる」
と言われてしまいました(ショックで記憶が曖昧ですがこんな感じだったと思う)。
信用していた人が「正論信者」だったのです。目の前に傷を負った人間がいた時に、寄り添いではなくまず先に「正論」を投げてしまう人だったのかと、僕はその友達が「いなくなる」感覚を味わいました。(数日後にケンカ別れをしたのち会っていません)
正直、バイトの先輩も、その友達も、悪い人では無いのです。言ってしまえば人間のタイプが異なる、ただそれだけの話です。今僕がしているのは、タイプが違うというだけで、生き方が違うというだけで、「正論信者はタチが悪い!!」と、論理的に物事を考え解決しようとする人たちのネガキャンをしているのだけかもしれません。
「寄り添う」こと
ただ、こういう人たちの前にいると、ものすごい自分が無駄な存在、に思えてくることがあります。そしてその攻撃性は時に、人の命を奪うほどの力があります。バイトの田中さんも、僕も、一人の弱い人間で、その一人の弱い人間は「正論」の前では時に完全にほぼ無力な存在となります。なので僕は、困っている人、苦しんでいる人がいたら、まずは「寄り添う」というコトを忘れないようにしよう、と思っています。自分がイライラしている時、自分も苦しんでいる時も、このことを忘れないように、心の呪印として刻むようにこの文章を書いています。
しなやかに
書いていてさらに思ったのですが、論理的に物事を考えるコト、は問題を解決する一番の手段のうちの一つだし、「寄り添う」よりも、より人の心を救うかもしれません。どっちにこだわる、というよりも、目の前の人に向き合って、しなやかに両方できる、ことが一番いいんだろうなと思いました。(応急処置が必要な人を目の前にしてやるべきことは、「心に寄り添うこと」ではなく、「適切な応急処置をすること」です)
ここまで読んでくださりありがとうございます。共感いただけたなら、とても嬉しいです。共感いただけなくとも、この最後のところまで読んでいるだけで、とても優しい人なのだろうな、と思います。あなたに明日何かラッキーなことがことが起こるように、祈りながら寝ようと思います。
中森そら
Twitter→ https://twitter.com/nkmr_sora1219