伊藤明彦作『未来からの遺言』を読んで
渾身の作品とは、こんな本のことを指すのだろうと思った。
どう考えても、伊藤明彦さんの人生は凄すぎる。
真似できないし、真似したいとも思えない。
でも一人の人間が人生をかけて、社会に何かを残すとうことを行って、それが明らかに価値があるのだから、今を生きる私はその凄さに感服している。
大体の世の中の大きな出来事は忘れられていくと、私は考えている。
日々どこかで事件、事故が起こっているし、
未来を生きる私たちは過去を全て知ることができない。
それぞれの事件の当時者が、この事件は大事なんだと主張しても、
知らなきゃいけない事件は世の中にたくさんあって、
それを全て知ることはできない。
悲しいことに、戦争に関する記憶だって、忘れられ、捻じ曲げられ、現代を生きる無知な私たちによって批判されている。
(原水爆の活動をしている団体がノーベル賞をもらったというニュースがYoutubeであった時に、そのコメント欄には核兵器を容認するようなコメントが溢れていた。私はショックだったし、絶望した。大江健三郎さんが生きていたら、どんなコメントを出すだろう。
原子力発電も生きてくためには必要な部分もあるかもしれないが、原子力発電に代替する別の発電方法を提示することもできないが、
でも原発を増設すると言われると、私は絶望する。)
『未来からの遺言』を読んで、そんなことを考えました。
ほとんどの人にとっては、戦争も公害も、過去に起こったことは悲しいかな、過去のこととして、はいはい大事ですよねで終わってしまう。
意外と過去からの連続に今の問題点はあると私は考えている。
オーラルヒストリーの真偽を確かめていくという手法によって、『未来からの手紙』は書かれているが、
研究としてはどれほどの価値が認められるのだろうかと考えてしまう。
本当に価値のある本だけど、大体の本当に価値のある本ってどれぐらいの人が見向きしているのだろうかと、思った。