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【感想】 あした死ぬ幸福の王子

「あなたは明日死ぬかもしれません」

序章は主人公である、オスカー王子が医師に宣告をされている場面から始まります。

今までの人生は無意味だったのか。
自分の人生って何だっただろう。
自分を取り巻く宝石、大臣らに囲まれる贅沢な生活。
それらは、明日死ぬ自分にとって何になるのか。
死を宣告された王子は恐怖とみじめさ、苦しさに襲われます。

思考が正常に働かなくなり、気が付くと、王子は自ら命を絶とうとしていました。
すると、1人の老人に声を掛けられます。

「自分の死期を知らされるなんて、おまえはとてもつもなく幸福なやつだな」

私は一気にこの本に惹きつけられました。

ハイデガー哲学入門

物語はこの老人から王子がハイデガー哲学を学ぶ形式で進んでいきます。
“嫌われる勇気”と同様の構成です。

死期を知らされたこと幸福。
その理由に興味を抱いた人はいますぐ本を読み出してください。

ハイデガーという稀代の哲学者が何を考え、何を解き明かそうとしたのか。
知的好奇心を刺激される最高の本でした。

著書で学べること

  • 死が持つ特別な4つの特徴

  • 人間にとっての本来的な生き方と非本来的な生き方

  • ハイデガーによる時間の捉え方

  • なぜ死が怖いのか

  • 人間は自分も他者も世の中すべてを道具扱いする

どれも語りだしたら、非常に有意義な内容でそれぞれが関わり合っています。
その中でも私が同著でハイデガー哲学に触れて最も重要なキーワード。

それは、、『“死”=“有限性”』

有限性を意識する

人類みな共通の数少ないこと。
いつかなのか、どのようにかはわからないけど、必ず死ぬということ。
そして、“死”が必ず訪れるという事実が人生に意味を持たしていることです。

死は10年後、50年後であると同時に1時間、1秒後かもしれません。

ハイデガー哲学の土台の土台は“死”=“有限性”を意識することです。
それを彼の用語では、“死の先駆的覚悟”と表現します。

ハイデガーの言う『死の先駆的覚悟』とは、いつか来る死を想像して備えよ、という話ではない。今、この瞬間に人間は死ぬ存在なのだという事実を真っ向から受け止めろ、という話なのだ

あした死ぬ幸福の王子 P125

同著とは関係ありませんが、ガンジーも『明日死ぬと思って生きなさい 永遠に生きると思って学びなさい。』という言葉を残していることは有名です。

“死”の存在を意識している人とそうでない人では、行動やその質が同じでないことは想像に難くありません。

それと同じくらい“死”がこの瞬間にも訪れることをリアルに思うことのハードルの高さも想像に難くありません。
煩悩だらけの凡人には難易度が高すぎます。

じゃあ、どうしたらいいんだ??

という多くの人の問いにハイデガーは手を差し伸べます。
それは“死”を“有限性”と表現していることです。
“死”を“有限性”へ置き換えることで、実践しやすさが格段に変わります。

人生は“有限性”の連続である

“死”を“有限性”と置き換え、生命の終わりだけを示すのではなく、もう2度と戻れない・再現不可能な事象と考えて見てください。

例えば、子育てや家族との時間
私事ですが、7歳の娘がいます。
寂しい限りですが、娘とお風呂に入れる最後の日は確実に訪れます。
娘とお風呂に入るという事象には有限性があるのです。
日常過ぎて、昨日の今日のお風呂に入るということの貴重性をあまり感じられていませんが。

高校の同級生との飲み会だって、同じ人物が集まっているようで、1日でも歳は確実に取っているし、私生活・仕事の状況だって違います。

何度でも集まれるかのようで、貴重性をあまり考えませんが、有限性でしかありません。

有限性が価値の源泉

こうやって有限性があることを書いていくと寂しく感じたりもしますが、有限性があるからこそ、価値があります。
永遠に続くものや再現が出来るのであれば、価値を感じないし、面白くありません。

2度と経験出来ないし、永遠に続くことがないからみんな価値を感じています。
ずっと、若く居られないから、若さに価値があります。

となると、冒頭に戻ると、余命がわかるというのはどういうことか。
それは、“死”=“有限性”の存在を精度高く知っていることです。

余命がわかる日常のことで言えば、、、

例えば、卒業式。
小学校生活の“死”=“有限性”が卒業式です。

卒業式に向けてみんなで製作物を作ります。
卒業式に向けた練習などはどこか気持ちが入ります。
タイムカプセルなどのイベントを実施する学校も少なくありません。
卒業式中に涙を流す人も少なくありません。

小学校生活の余命が近付いていることで、そこに向けての取り組みに力が入っている例です。

だから、余命がわかると幸福

ハイデガー哲学の最も重要な土台は、死=有限性と向き合って生きること。

それが人間の本来的な生き方であるとしています。

“死”を“有限性”に置き換えることで意識しやすくなることは間違いありませんが、それでもいつか来るとかではなく、意識し続けて有効的に活かすことは簡単ではありません。

老人が王子に告げた「余命がわかると幸福」というのは、人生を本気で生きるための条件が他者よりも整いやすいということです。

“有限性”で捉えれば、ダイヤモンド富士が見られた瞬間やオーロラを見られた瞬間だけが特別な風景ではありません。

私達が送っている日常そのものすべての瞬間が2度と訪れないレアな風景です。
そのことを忘れてはいけません。

そして、次の瞬間死ぬかもしれないとして、自分の行動に後悔がないのか。
そういうことを意識して、40歳を超えた自分の人生と向き合っていきたいとこの本を読んで感じました。






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