暇と退屈の倫理学(3) 第2章 人間はいつから退屈しているのか? 

暇と退屈の倫理学第2章。
人間が退屈をいつから感じているかが明らかになります。

退屈の出現は○○革命

退屈の起源を探るっていくと以外な場所にたどり着きます。

なんと、退屈の出現は定住革命だったと書かれています。

というのも、諸説ありますが、人類は遅くとも400万年前には二足歩行を始めたと考えられています。
そのうち、定住生活を始めたのはほんの1万年前。
これは、人生80年で考えた場合、0.2年でしかないという計算です。

399万年は一定期間で居住地を移動する遊動生活だったという事実。

これが何を意味しているかといえば、遊動生活にチューニングされて進化してきた時間が定住生活と比べものにならないくらい長かったということ。
人類は生物学的に遊動生活向けの仕様であるということです。

定住は、地球環境で迫られた結果

先程の進化のことからも、決して人類は望んで定住生活を選んだわけではありません。

諸説あるのかもしれませんが、地球の氷河期や温暖化などの環境要因によって、定住生活を余儀なくされたと考えられています。

定住革命による変化

1,そうじ・ゴミ革命
2,トイレ革命
3,死者の関わり
4,社会的緊張の解消
5,社会的不平等の発生
6,退屈を回避する必要

著書には定住生活によって、これだけの革命を必要としたと書かれています。
1〜3は想像が付きやすいと思います。

居住地を移動するなら、そうじやゴミのことなど考える必要がありません。
ポイ捨て当たり前です。
トイレも別に場所を決めてする必要もなく、遊動であればそこらへんでしてしまえばいい。
死体も持ち運べないので、その場に置いていくのが当たり前だったと想像されます。

そして、定住生活により、権利や義務を規定する必要が発生し、持ち運び出来なかった財が溜められるようになり、社会的な不平等が発生したといいます。
遊動生活では道具の貸し借りや獲物を分け合うのが当たり前でしたが、定住生活により、それらとは違った社会を形成せざるをえくなりました。

なぜ退屈を回避が必要になったのか

それは、大脳への適度な負荷がなくなったからだと言う。
どういうことか?

場所を移動すると考えることが多くなります。

  • どこで獲物が取れるのか?

  • 水はどこにある?

  • 危険な動物の出現は?

  • 寝る場所はどうするか?

引っ越しや転職、高校や中学に上がるときなどを考えれば、イメージが付きます。
新たな環境の適合しようとするときには、“情報収集”が負荷になります。

ところが定住生活では、いつもと変わらぬ光景が目の前に広がり、探索能力を使う必要がなくなります。

遊動生活によって、もたらされていた負荷に耐えうるように人間は進化してきましたが、定住生活に切り替わったことによって、その能力を使う場面が劇的に減ってしまったわけです。

そこで現れるのが“退屈”。
余りある脳が“退屈”を感じてしまうようになった課題が現代も明確な解答を見つけられずに現代人を悩ましています。

一万年来の課題

定住革命による課題は人類が解決しなければなりません。

ゴミ置き場やトイレで用を足すことは、有力な解決策になりました。
ただ、退屈だけは、未だに決定的な解決策がありません。

定住は退屈を、人間一人一人が己の人生の中で立ち向かわねばならない相手に仕立て上げたのだ

著書 P85本文より

定住化によって大きなメリットがあったことは間違いありませんが、それ以上に人間の幸福感に関わる重大な課題を持ち込んだことも事実のようです。

第2章  雑 感

退屈が人類の進化と現代の生活のミスマッチが影響していたとは、、
スケールの大きな話になってきて、ワクワクしてしまいました。

その他、油っぽいものを食べたくなるとか、甘いものを食べたくなるなども生物的に生き延びるための人間の生理反応だと言われています。

人間とは、、人類とは、、の根本の問いを考え、その特性から現代の問題を考えることはすごく重要な視点だと思います。

個人的ではなく、人間が元々抱えやすい問題や取りやすい行動原理がわかれば、対策も取りやすいし、個々の中で処理がしやすい。
定住生活による影響が頭の中にインプットされたことは私の中で非常に大きなことです。

この本はここから佳境に入っていきます。
“退屈”や“暇”の正体とは何なのか。結局、私達はどうするか。
面白くなっていきます。

 


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