『生活環境保全条例』
都会の空気はいただけない。
田舎から戻ると真っ先にそう思う。
いただけない最大の理由は、都会ではありとあらゆる道が舗装されているからだ。
道と空気の関係性はこうだ。
都会の道は舗装されている。
表面が平らだから雨が降るとよく滑る。
よく滑るからお洒落なパンプスを履いているレディが転ぶ。
お洒落なパンプスを履いているレディは転んでも声をあげたりしない。
お洒落なパンプスを履いているレディが救いを求めていないので、周囲のひとは手を差しのべることも出来ない。
ゆえに周辺一帯はものすごくへんな空気に包まれる。
当事者は本当は、いたくてたまらないし、目撃者は本当に、いたたまれなくなる。
それぞれの行き場のない感情が、へんな空気と化して、その場に溜まってしまうのです。
そのような澱んだ空気を発生させないためには、自治体単位で改善に取り組むべきだと思う。
『転んだら何か言うよう都市部では条例を制定してほしい』
何らかの発声をするだけで澱んだ空気の発生を防げるのです。
「痛い」と言うだけで「大丈夫ですか」と言う会話が生まれます。
「あちゃー」と言う感嘆詞ひとつだけでも「あらあら」と言う感嘆詞をもらう事が出来ます。
子どもの頃は怪我ひとつしなくても、ちょっと転んだだけで、泣いたり叫んだり、あんなにも過剰にアピールしていたのに、人間は何歳を境に平静を装うようになってしまうのでしょうか。
中華料理屋さんの前のタイル張りの歩道なんかは特に滑りやすい。
大阪で最も転倒するひとが多いのは、心斎橋の大成閣の前だと思う。
雨の日に滑って転びそうなジェントルマンを助けようとしたレディも滑って、二人とも転倒するシーンに遭遇したことだってある。
そこは淀川河川公園のローラースケート場ではないし、新婚さんいらっしゃいの朝日放送本社でもありません、心斎橋です。
中華料理店での同窓会を終えて、油まみれの新調のピンキー&ダイアンのパンプスの底と、雨上がりでツルツルのタイルの間には、全くと言っていいほど摩擦が生じていない。
近頃の米中貿易摩擦とは大違いです。
一方、東京で最も転倒するひとが多いのは、上野駅東口のペデストリアンデッキだと思う。
冬場に雪なんか降ったら東北新幹線以外の利用者は滑りまくっています。
また、田舎から出てきたひとが、早朝の東京人の速い歩調に合わせようとして転倒するシーンや、夕暮れ時に十八時ちょうどのスワローあかぎに乗って、熊谷の家路へ急ごうとして走っている、お洒落なパンプスを履いているレディが転倒するシーンをよく目にします。
まあそれが大阪であれば、完全に転んでいるのに大概は
「危なっ! もうちょっとでコケるとこやった」
などと言って、目撃者の失笑をさそって、澱んだ空気を浄化してくれるのですが、東京ではなかなかそういうシーンを目にしません。
ほとんどのお洒落なパンプスを履いているレディは、転んで怪我をした脚がめちゃくちゃ痛いのに、一段と気取って颯爽と歩いたりしています。
痛い足をかばいながら歩くことは、はたして恥ずかしい事なのでしょうか。
破れたパンストの膝から血を流しつつ、格好つけて歩いているほうが、よっぽど異常です。
ですから都会の澱んだ空気を浄化することはもちろん、人間が人間らしさを取り戻すためにも『転倒者無言禁止条例』の制定が必要なのです。
義務化されていれば、はじらいも、ためらいもなく転倒者は声を発することができるでしょう。
そうすれば、ほどけてもいない靴紐を結び直したり、意味もなく走り出したり、死んだフリをして有りもしないビルの屋上のカメラに向けたパフォーマンスをする必要もなくなります。
逆にメリットとして、応急処置のキッドを携帯しているひとが駆け寄って来て、手当てを施してくれたりもします。
転倒者は本当はその場で、心配されるか、笑われるか、のいずれかを求めているのです。
目撃した方々の帰宅してからの気掛かりや、思い出し笑いのおかずになる事など、微塵も望んでいないのです。
ですから全国の自治区に先駆けて、大阪市中央区や東京都台東区の行政は、一刻もはやく転んだら何か言うことを義務付けた『転倒者無言禁止条例』を制定してください。
わたしが大成閣の前で死んだフリをするパフォーマンスによって、東心斎橋の南小学校の生徒に救急車を呼ばれてしまう事態を、もう二度と起こさないためにも。
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