
終大成
芥川龍之介や太宰治を知っていくにつれて、人生が終わるときの光景によって、その人の集大成が見て取れるような気がする。
当たり前なんだけど、みんな人それぞれその人の道筋を歩んでいる。でも、産まれた時はまっさらな状態でみんなが一緒。
その人のたくさんの経験によって、趣味嗜好がつくられていく。人格や性格も同様。みんなそれぞれ違う経験をするから、それぞれの個性が生まれるわけ。
少しでも興味関心がわかれば、その人のことが少し知れる。特に夢中になれることへの熱量がその人を物語る。
夢中になれるものがない。そういう人もいると思う。でも、そういう場合には気づいていないだけだと思う。
夢中という意味は、時間を費やしているということ。それが意識的にでも無意識的にでも当てはまる。あなたが時間を費やしていることは何?
それが夢中になっているもの。それは遊びかもしれないし、勉強や仕事かもしれない。妄想や、ぼーっとスマホをいじることだったりする。
何に夢中になるのかも道筋が影響している。あなたの経験があって、感じたことにより夢中になれることが生まれる。
だったらさ、いざ人生を終えるときに取り組んでいること、死ぬ間際ですらやっていること。縋り付いていること。そんなにも夢中になっているものがあるなら、それはその人の集大成になる。
もちろん、完璧にその人を表すとは言えない。でも、多くのことが感じ取れる可能性は非常に高い。
人生を終えるときに取り組んでいることなので、タイトルを終大成にした。
あの芥川龍之介の枕元には、聖書が置かれていた。自殺を決行した時でさえ、その人の道筋はあらわれる。
芥川龍之介はとにかく生きにくくてしょうがなかった。だから必死に聖書に救いを求めていた。でも、救われなかったのか自殺を選択した。枕元には遺書のようなものがあり、そこには詩が書いてあった。その詩の内容には、芥川の唯一の救いが見てとれた。
芥川が師匠である夏目漱石に唯一褒めてもらえた『鼻』を思わせるような詩。まるで芥川龍之介の人生を物語っているように感じる。
生きにくくてしょうがなくて、
聖書に救いを求めて、
でも足りなくて。
唯一心の中で縋れる師匠からの賞賛。
自分の道筋はどうだろう。自分の歩みを再確認したい。本当にこの道でいいのだろうか?
ただ、いまはこの道しか見えない。