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「村上春樹が好きだ」を取り戻す(過去形の現在化)

「村上春樹が好きだった(過去形)」の続きです。

学生時代は巣鴨に住んでいた。そのころ地蔵通りと大塚駅前を結ぶ折戸通りの真ん中あたりに、なぜか新刊書が安く買える古書店があって、よく利用していたのだが、ある日、発売後まもない『ダンス・ダンス・ダンス』がその店の棚に差さっているのを見つけたのである。

喜び勇んでレジに持って行く。

部屋に帰る。

読み始める。

――あれっ?

すぐにそう思った。

面白くない――

水道の蛇口をひねったら出てくる無色透明の液体みたいな文章だ。

読み進めるのがつらい――

それでもなんとか読了する。しかし「駄作駄作駄作」という思いが胸にこみ上げるのを抑えることができない。味もそっけもない文章の羅列――

この「味もそっけもない文章」という印象は次に読んだ短編集『TVピープル』でも変わらなかった。いや、もっとひどいものだった。『ダンス・ダンス・ダンス』は、いちおうは読み終えることができた。でも『TVピープル』は駄目だった。読み通せなかったのである。『国境の南、太陽の西』に至っては、最初の頁さえ、読了不可。

――そうか、自分はもう村上春樹が読めなくなってしまったのか。

という感慨が芽生える。

それからである。『1973年のピンボール』を読み返すようになったのは。あのころ味わった面白さ、あるいは村上春樹に対する自分の気持ち(?)を確かめるためだ。

もちろん初読時の新鮮な感動は色あせる。

ビートルズの「ヘルプ」――ジョン・レノンが作曲し、リードボーカルをとるこの曲を自分が始めて聞いたのは中一の頃である。一九八一年の話。いまでもよく覚えているが、あるFMラジオ番組で、ゲストの矢野顕子がモンキーズの「アイム・ア・ビリーバー」とともに紹介していたのをエアチェックしたのだ。

当時、自分はこの曲を狂ったように聞き続けた。いちど聞き終えるとすぐさまカセットテープをキュルキュルと巻き戻し、間髪入れず再生ボタンを押すという行為を、まさにモンキーのように繰り返して快楽物質を脳内に溢れさせていた。

こんなことをして自分は「ヘルプ」という曲をしゃぶりつくしてしまったのである。

いま「ヘルプ」を聞いても、「うん、ジョン・レノンは相変わらずいい声だなあ」とか、「英語の強調のdoの使い方はこの曲で覚えたな」とかは、思う。「いい曲だ」とも思う。だが、あのころたしかにあったはずの高揚感は戻ってこない。

しかし『1973年のピンボール』の色褪せぶりは、こんな程度では済まなかった。

「自分はもう村上春樹が読めなくなってしまった」という認識の副作用だろうか、『1973年のピンボール』を最初に読んだときの面白さの面影さえ見当たらない。いろいろ鼻につく。なにもかあざとく感じる。この小説のいったいどこに、自分はあれほどまで惹かれていたのか?

逆向きの問いを仕掛けてみる。

自分にとっての躓きの石、『ダンス・ダンス・ダンス』の、いったいどこが気に入らなかったのか?

すでに触れたように、まずなにより文章が気に入らなかった。

僕のことについて語ろう。
自己紹介。
昔、学校でよくやった。クラスが新しくなったとき、順番に教室の前に出て、みんなの前で自分についていろいろと喋る。僕はあれが本当に苦手だった。いや、苦手というだけではない。僕はそのような行為の中に何の意味を見出すこともできなかったのだ。僕が僕自身についていったい何を知っているだろう? 僕が僕の意識を通して捉えている僕は本当の僕なのだろうか? ちょうどテープレコーダーに吹き込んだ声が自分の声に聞こえないように、僕が捉えている僕自身の像は、歪んで認識され都合良くつくりかえられた像なのではないだろうか?

この後もしばらく、「自己紹介」をめぐる冴えない思弁が、日本語としてそれなりに整った文章でダラダラ、ほんとうにダラダラ続く。とにかく冗長で、単調で、退屈。この、ただ書いている感じ。言葉を垂れ流している感じ。リズムはあるが、グルーヴがないというような……。

これはたぶん、かつての村上春樹の言葉にたしかにあり、その魅力の中心を構成していたともいえる、あの《一見してそれとわからないハッタリ》がないということなのである。

一九八五年に荒川洋治が書いている。

村上春樹の文章について、ぼくが感じることの一つはハッタリが多いということである。ただのハッタリではない。ただのハッタリであれば、一見してそれとわかるであろう。一見ではわからない。村上春樹の文章は感覚的とみえながら論理的である。だからのみこめてしまうのだ。読者は彼の論理が、感覚的に十分な説得力をもつために、キツネにつままれたような状態になって、彼のハッタリを識別できぬまま話に乗せられてしまうというのが実情であろう。
(荒川洋治「キツネ算――村上春樹のことば」)

この荒川の見方はすごく納得できる。おそらくこの《一見してそれとわからないハッタリ》が初期村上春樹の文章における特有のグルーヴ感を生み出している。ただ、「感覚的とみえながら論理的である」というのはちょっと語弊があって、「論理的とみえながら感覚的である」といったほうがいい気がする。《一見してそれとわからないハッタリ》とは、本質的には感覚的なものを論理的な装いのもとに提示する技術、すなわち論理と感覚の取り違えを引き起こす技術であろう。そしてこの、村上春樹の文章における論理と感覚との絶妙な齟齬、ズレがグルーヴをもたらしていたのではないか。

翻って『ダンス・ダンス・ダンス』にも、もちろん「ハッタリ」はある。しかしこの「ハッタリ」は、「一見してそれとわかる」もの、グルーヴを構成しない「ただのハッタリ」にすぎないのだ。

一般にはこの「ただのハッタリ」になり下がったエレメントが村上春樹っぽさとして認知されており、パロディの対象とされたりもする。さらにいえば、村上春樹の自己模倣と呼ばれるときに認知されているもののいくばくかもこれ、「ただのハッタリ」の部分だと思われる。

それでは――ここで最初の問いに戻るが――自分が『1973年のピンボール』を気に入らなくなったのは、村上春樹の《一見してそれとわからないハッタリ》を「識別」できるようになったせいなのか? 魔法が解けたということなのか?

そうかもしれない。そうかもしれないのだが、では、自分は村上春樹のこの《一見してそれとわからないハッタリ》に惹かれていたのか?と問い返しててみれば、それもまた少し違うと断言できる。

国木田独歩の「武蔵野」は小説ではない。同様に、村上春樹の『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』は小説ではない。《僕がここに書きしめすことができるのは、ただのリストだ。小説でも文学でもなければ、芸術でもない》(『風の歌を聴け』)。これはたんに「風景」である。村上の影響力は、この風景の自明化にある。これは、けっして外的な風景なのではない。つまり、世の中がポスト工業資本主義的な消費社会的な様態を示しはじめたから、村上がそれをいち早くとらえた、というのではない。この「風景」は、国木田独歩の風景がそうであるように、或るエクリチュールによってのみ、また或る内的な「転倒」によってのみ現出したのである。
(柄谷行人「村上春樹の『風景』」)

これも説得力ある議論だと思う。中二の自分には、村上春樹が「クロード・ルルーシュの映画でよく降っている雨」や「一九六〇年、ボビー・ヴィーが「ラバー・ボール」を唄った年だ」と書くことに潜む「悪意」や「イロニー」や「価値転倒」が読めなかった。しかし自分はそれを「今日的なしゃれた風景」とは受け取らなかったし、この「風景」そのものに魅力を感じていたわけではなかった。

柄谷行人が「小説ではない」という「武蔵野」を始めて読んだのがいつだったか、自分はもう覚えていないが、この作品がいまも大好きであることにかわりはない。

自分はパスカル・キニャールの「アイスランドの寒さ」という文章に「武蔵野」と同種の良さがあると感じる。

七月五日木曜日、わたしはミシェル・ルヴェルディの家で、ピエール・ブーレーズ、クレール・ニューマン、オリヴィエ・ボーモンと夕食を共にした。ミシェルは、ドミニク・ドバールが指揮する低地(バス)ノルマンディー器楽アンサンブルから短い童話を依頼されたことを話題にした。わたしたちはモカ・アイスの塊を切り分けるのにひどく苦労した。
わたしはナイフを曲げてしまった。
ブーレーズが新しいナイフを手にして立ち上がり、ふたたび挑んだ。アイスクリームの塊が跳ねて床に落ちた。そのショックでもアイスクリームは割れなかった。わたしたちはそれを水で洗った。わたしは、言語の失調が行動の発端になるという物語の骨子を語った。この主題は他のどんな伝説よりも、音楽に向いていると思えたからだ。(……)

この清潔感! 結局のところ自分は「小説」が好きじゃないのだ。『1973年のピンボール』が読めなくなったのは、「小説ではない」はずのこの作品に居残る「小説」の放つ不潔な臭いが鼻につくようになった、ということなのである。

しかし、である。

こんなことは以前からうすうすは感づいていたことである。

この直観に同伴するようにして、数年前から、本性のよくわからない、あるひとつの問いが立ち上がってきたのである。そのことを最後に書いておきたい。その問いは次のような形をとっている。

「村上春樹が好きだ」を取り戻すことができるか?

自分は、ここにひとつ、大きな批評的課題があると感じている。

しかし同時に、この回復が何を意味するのかよくわからないとも感じている。

初期村上春樹に見て取った「小説」の側面を見なかったことにするというのは最悪のやり方である。作品の「いいところに目を向ける」、逆にいえば「駄目なところに目を瞑る」、というのは逃げであり、幼稚な振る舞いであり、批評の頽落であろう。

あるいは「風景」と「小説」の対立を止揚するという、これもまた手あかのついたやり口も無効であろう。このような理屈っぽいやり方で「好きだ」が回復しないことは自明である。

新たな魅力を掘り起こすというのも違うだろう。なぜならそれは回復ではない。

八方塞がりだ。

それにしても、自分はなぜこんなことを考えているのか?

ようは、現在の自分が過去の自分よりも批評上よいものだとはとうてい思えない、ということなのだ。

いまの自分を葬り去りたいのである。

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