12月13日(日記)やっぱり禅か
晴れ
朝方雨 冬の雨はどこか非情
鈴木大拙先生の「無心ということ」をようやく読み終えて、次に読む作品を探していたら、アマゾンのunlimitedに「鈴木大拙全集」を見つける。
以前から、古本屋に行っては全集を探していたところなので、見つけて狂喜乱舞。本当は紙で読みたいところだが、電子書籍でも充分。
西田幾多郎先生の本は、少し難解なのに比べて、鈴木大拙先生の本はかなり読みやすい。
少し前まで、禅は宗教だと思っていたが、池田晶子先生に導かれて、西洋哲学の本を読み出し、併せて仏教思想を学び始めて、今は、「禅」は、ある一つの哲学思想だと思うようになった。
インドで生まれた「仏教」というものが、中国に伝播して、やがて日本に持ち込まれ、「禅」という超宗教(東洋哲学)を生んだ。当然ながら、明治維新後に持ち込まれた西洋哲学との衝突が起こる。
しかし、その融合(止揚?)を図ろうとした人たちが現れた。西田幾多郎先生は、梅原猛先生、京都学派の先生。
別に、新しい思想を生み出したいという気もなければ、日本文化至上主義者でもないけれど、この、西洋文明と東洋文明の融合ができるのは、誰かが言っていたように、この二つ(他の文明もあり得るので)を許容できる、この国に生まれた人にしかできないことかもしれない。つまり、文明の止揚。車で喩えればハイブリット車。
アップルの創業者スティーブ・ジョブズが、「禅」に傾倒していたのは有名な話だ。
GAFAを超えるような企業が日本に生まれるには、月面着陸もいいけれど、この融合の試みの継承発展、そして完成を目指すことに秘密が隠されている気がする。まあ、別に超えなくてもいいわけだけれど。
文学の世界でも、夏目漱石の小説の中で、主人公が参禅しに禅寺に行きかけて、結局やらずに元の西洋文明的な暮らしに戻ってくるという、描写が出てくる。
西洋文明と東洋文明の狭間で、その逡巡と迷いこそが、文学を初めとする、明治から続く、この国の文明の状態かもしれない。
さてと、全集を読もう。
北風を 避けてばかりの 我が思い
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夢はウォルト・ディズニーです。いつか仲村比呂ランドを作ります。 必ず・・たぶん・・おそらく・・奇跡が起きればですが。 最新刊は「救世主にはなれなくて」https://amzn.to/3JeaEOY English Site https://nakahi-works.com