判例は一つの物語かもしれない
法律を少しでも勉強した人は、一度ぐらいは「判例百選」という本を読んだことがあると思います。ちなみに判例とは裁判の記録であり、事件の経過から判決までをコンパクトにまとめたものです。
その中で、憲法や刑法などの分野別に、その後の起きた裁判において、判断のために利用する目的で、選りすぐってたものが百選であり、実際は100ちょうどではないですが、おおよそ100ぐらいで代表的な事件が載っています。
大学時代、レポートの課題として出されたとき、これを読まなくてはならないときは、嫌でしょうがありませんでした。小説はたくさん読んでいましたが、同じ日本語を使った文章ではありますが、専門用語、独特の言い回し、多くの学説、よくわからない落とし所、文章そのものが難解なため、読みとおすこと自体が困難でした。何度も通読しても意味がまったくわからない。文学の情緒的な文章になじんでしまった自分にはまったくのお手上げ状態でした。
そして、当時は法律を使った仕事に就くなど微塵も考えていなかったので、まったくの無駄な勉強だと思って適当にやり過ごしました。
それから何年か経ち、ふとした成り行きから法律を扱う仕事をやるようになったとき、最初は、「またあの世界か」と思ってしまいました。大学の時無理やり読まされた判例集の文面が脳裏によぎりました。そのときでも、まだ法律などは無味乾燥な暗記モノだと思い込み、文学信奉者にありがちなように一方的に見下していたのです。
しかし、再び百選を手に取ってみると、それはたまたま刑法でしたが、何と読み物としてとても面白く読めたのです。意味もわかり、その結果に「ふうむ」と頷く自分がいました。
そもそも百選に載っている事件というのは、裁判の前例を作ったと言う意味で、変わった事件ばかりが載っています。
刑法で有名な判例で言えば、むじなと、めじなを間違えて狩猟したから罰せられたとか、監禁されていたマンションから何とか脱出して、高速道路に逃げ込んでひき殺された事件とか、あまりにも奇想天外過ぎて、ドラマのネタだと嘘っぽくなるような驚くべき事件ばかりです。
判決では、それに合う法律の条文を探し出し、規範を使って事実を当てはめて結論を出すのですが、その判断経過の全てが、初めて知ったように新鮮に映りました。
なるほど人間のリアルな世界で起きた問題は、こうやって解決するのだと認識を新たにしたのです。
もちろん、読み物としてはエンターテイメントとして作られているのですから、当然小説の方が面白いですが、このとき判例もある一つの物語だと思えたのです。そして、考えたのがこの百選を利用して、ここからいろいろな小説を作れないかということでした(すでに作られているかもしれませんが)。
刑事訴訟法からサスペンス、民事訴訟法から法廷劇、会社法から敵対的買収など。そして実際に、大人向けの小説の題材として使ってみたのですが、どうにもしっくりきません。うまく物語に昇華できないのです。
その原因を考えてみたところ、2つ理由がわかりました。1つ目は、法律を扱う時の脳と、小説で使う脳がどこか違っているということです。どうしても判例を読んでいると、論理的に頭を働かせてしまいます。そのときは場面展開のスムーズさとか、細かい伏線とかが入り込む余地はありません。
逆に創作をしている時の脳は、そういった論理的な解決方法を一切はじいてしまうのです。心情とか内的心理とかで頭がいっぱいになってしまっています。
2つ目は、ブログのネタとして、安易に芸能ゴシップを使うようなもので、どこか「ずる」をしているような気持ちになるからです。
創作というのは、どこまで行ってもゼロの地平線から、自分の力で物語を立ち上げる行為であり、それは自分の中からふつふつと湧き上がってくるマグマを利用しなければなりません。
つまり、判例はしょせん遠い誰かの事件であって、自分の問題には中々しずらいということです。もしどうしてもというなら、自分と同じような境遇で起きた、または遭遇した事件を百選の中で見つけ、自分の人生になぞらえた物語を作る方が近道かと思います。
かといって、そんな事件を膨大な判例の中で探すのは、ほぼ不可能に近いでしょう。現実にやるような奇特な人もあまりいないと思います。
しかし、法律を深く勉強した司法試験受験者などは、自分に身につまされたり、親近感を覚えた判例は一つぐらいあったはずです。そしてもし、これを元に小説でも書こうという意思が少しでも芽生えたら、その判例は最高のネタとなり得ると思います。
どこかで一度書いた記憶がありますが、法律家もぜひ文学の世界に来て欲しいと書いたのもそういう意味です。おそらく弁護士だったら少なくとも一作は面白いものが書けるはずです。
そして逆に、こらから自分の書いた小説でもって、これから世界を震撼させたいと思っている人は、法律を勉強するのも一興かもしれません。こうした法律と文学についての関係は、私自身とても興味深いテーマなので、これからも折に触れて書いて行きたいと思っています。
ではまた