12月23日(日記)一番寒かった時の記憶
朝から大雪
昼間のランチのキャンセルするか悩む。
人生で一番寒かった記憶。
それは、ちょうど十年前。
名古屋では、毎年、クリスマスイブの夜、名古屋港で花火大会が行われる。ちょっとした冬の風物詩だ。
近しい人と、場所取りのために、二時間前には現地に到着。帽子、耳当て、マフラー、ダウンジャケット、まるで今からスキーにでも行けるかのような完全防備。
これで絶対に大丈夫と、ビニールシートを引いて座る。ベストポジション確保と意気揚々としていたのも、数分まで。
冷える、しんしんと冷えてくる。原因は、冷え切ったコンクリートに座っているお尻だった。そう、風や夜の気温は考えてきたが、座るお尻のことを忘れていた。
三十分もしないうちに、お尻から背筋を伝い、全身がガチガチと震えて出す。カイロ代わりの温かいお茶のペットボトルを持つ手も震えている。
横を見ると、近しい人も震えている。ここは男気を出して、着ていたダウンジャケットを脱いで、シート代わりに提供した。
近しい人は、まるで救世主でも見るような目で、お礼を言ってくれるが、その喜びもつかの間、耐えきれない寒さが襲ってくる。あと、花火まで30分。しかし、花火が華やかに上がっても、たぶん暖かくはならない。
これは、強制的に温めなくては凍死すると思い、温かい食べ物を調達に向かう。しかし、キッチンカーはすでに長蛇の列。みんな、完全防備で上着を着ていないのは、自分だけだ。少し待っていても、身体ががたがたと震え出す。しょうがない、カイロを買いに行こう。しかし、コンビニ行くと、そこも長蛇の列。カイロは完売。ただ、少しだけ、身体を暖められてほっとしてつかの間の休憩。もう、あの場所に戻りたくない・・・しかし、近しい人を待たせる訳にはいかない。
結局、一番空いていたまずそうなラーメンを買いって急ぎ戻ると、すでに花火は始まり、観覧席はすでにぎゅぎゅう詰め。たどり着くまでに、「すみません」を百回以上は言う羽目に。
こうして、何とか確保した場所に戻ると、両手で自分の身体を抱きしめながら、必死に寒さに耐える近しい人の姿。余裕をもって確保した場所も、あとから来た家族やカップルにかなり侵食されている。二人座るだけで、一杯の状況だ。
そのとき近しい人が、私の姿に気づく。その見上げた時の目。それは、まさにこの世の冷気を一点に凝縮したようなものだった。
こうして、身体も冷え、心も冷え、すべての寒さに耐えきれず、途中で花火をギブアップした私たちは、見事風邪を引き、三日間寝込んだのでありました。
そう、本当に寒かった記憶。それは、スキー場でも、富士山の山頂でもなく、身体と、心も同時に冷えたきった、冬の花火を見たときのことでした。
初雪に 雪化粧して 山眠る
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夢はウォルト・ディズニーです。いつか仲村比呂ランドを作ります。 必ず・・たぶん・・おそらく・・奇跡が起きればですが。 最新刊は「救世主にはなれなくて」https://amzn.to/3JeaEOY English Site https://nakahi-works.com