人生徒然

誰もが誰かの“時間”を欲しがり、
誰もが誰かに“時間”を渡して暮らしている。

英雄譚らしい展開もなく取り合いに終始する資本寸劇は光と闇のダブル主演。
接待と忖度まみれで打ち切ることもできない。

ニュースは世の悲劇を喧伝し無力さというメタメッセージを送り続けながら、彼らの生活は高級マンションで肥え太っていく。

呼び方をカタカナに変えて労働力をもぎ取っても、奪い取れないものもある。
巷にあふれるは経営者側の独りよがりの成功譚ばかり。労働力は富ではなかったのか。

1+1=5だと世界中のひとが書き込んで、ある閾値を超えた時、AIはそう判断するのだろうか?
“その他大勢”の目覚めを怖がっているのは誰か。

野球を観て映画を観てネットを観て一日が終わる人が、ふと思う。「俺は他人の仕事ばかり観て本当に面白いのか」と。

こうして終わっていくのかと思うのですが、それもこれも単純な話なのでしょうか。それもこれも連綿と続く罠にかかった者の遠吠えでしょうか。努力とはなんでしょうか。報酬は私に見合うものでしょうか。履歴書が埋まらなければ人は人を評価できないのでしょうか。

停滞、停滞、また停滞。そんな日々がやってくる。
恋する人は様々に遠く、孤独だけが特徴となる。
ホントの生き方なんてものがあるなら知りたくて、ずいぶんともがいてきたけれど、欲しかったのは幸運という返却日自己申請の預かりもの。ただラクしたかった、それはまるで誰でもよかったとのたまう犯罪者のようなメンタルと大差ないような。

自分自身に詐欺をはたらくようなやつにはなりたくない。






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