何者かになるということ。

遠くに住む人とは結局終わりを迎えてしまうもの。
寂しさを表立って打ち出して展開させて、
見て!  見て!なんてできないから、
深い森に住むことを選んだんでしょう。
どうせ会えないのだから、ひっそりと暮らしていてもいいでしょう。
そして小さな窓が閉じられるとまた焚き火の前で過ごすことが多くなる。
慣れない珈琲を飲むことが多くなる。
結局また此処か、と、もうそんな表情にも飽きてきた頃。

御昼時、快活に接客し、マスクの下でも笑顔を絶やさない人も、別に楽しい訳ではないのです。昨夜嬉しいことがあったから、今晩素敵な待ち合わせがあるから、という訳でもなく。

それは覚悟。自分を明け渡すという取引。
それは決意。何者かを演じるという契約。

テレビ番組で、声を張って世を一瞬照らすひとも、毎度収録前に幸運が訪れてる訳ではないのです。大金が振り込まれたからでもなく、MCに抜擢され裁量で進行が変えられるからでもなく。

それは覚悟。生活をそれに捧げるという選択。
それは決意。余計なものを知り排除する孤独。

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