仮面的世界【21】
【21】仮面の記号論(序)─言語の二つの側面
2.言語の二つの側面
ヘーゲル大論理学の「成」({φ,{φ}})は自然や精神や歴史における、したがって言語における「弐」を表わしている。──言語がもつ二つの側面について、安藤礼二氏の論考[*]を参照して整理すると次のようになる。
◎ 外的事物の「指示」と内的感情の「喚起」
:オグデン、リチャーズ『意味の意味』(1923年)
◎「知性」的機能と心象喚起機能=「感性」的機能
:フレデリック・ポーラン『言語の二重機能』(1929年)
◎「間接性」の言語と「直接性」の言語
:折口信夫『言語情調論』(1910)
◎「現実」(自然)的側面と「超現実」(超自然)的側面
:西脇順三郎『超現実主義詩論』(1929年)
◎「外延」(論理)と「内包」(呪術)
:井筒俊彦『言語と呪術』(1956)
◎「指示表出」と「自己表出」
:吉本隆明『言語にとって美とはなにか』(1965)
言語の二側面は、ソシュール以後の言語学・記号学におけることばの二つの軸と呼応する。
──ヤーコブソンは「言語の二つの面と失語症の二つのタイプ」(『一般言語学』)で、失語症には、①「結合」能力の障害(「連辞」関係がこわれる)と、②「選択」能力の障害(「連合」関係がこわれる)の両極の型があり、前者では「換喩(メトニミー)」型ディスクール(「隣接性」によって話題が進行する)が阻害され、後者では「隠喩(メタファー)」型ディスクール(「類似性」によって話題が進行する)が阻害されるとした。(以下、佐々木考次『文字と見かけの国──バルトとラカンの「日本」』の記述を参照して整理する。)
◎ヤーコブソン
・結合(combination)─隣接性(contiguity)─換喩(metonymy)
・選択(selection) ─相似性(similarity) ─隠喩(metaphor)
◎ソシュール
・統合、連辞(syntagme)
・連合(association)
◎イェルムスレウ
・統合、連辞(syntagme)
・範列(paradigme)
以上のことを図示すると次のようになる。(ヤーコブソンの結合(連辞)の軸を水平方向に、選択(連合)の軸をこれに直交するかたちで垂直方向に引いたのは、私の直観に従ったもの。)
【Ⅱ】
┃
┃
┃
┃
┃
┗━━━━━━【Ⅰ】
※【Ⅰ】論理・外延:間接性:指示表出 結合・連辞─隣接性─換喩
【Ⅱ】呪術・内包:直接性:自己表出 選択・連合─相似性─隠喩
[*]井筒俊彦『言語と呪術』の解説「井筒俊彦の隠された起源」(『折口信夫』収録の「言語と呪術──折口信夫と井筒俊彦」の増補改訂版)において、安藤礼二氏は次のように書いている。
《言語は論理[ロジック]であるとともに呪術[マジック]である。
『言語と呪術』は、その冒頭(第一章)で、高らかにそう宣言する。言語は、世界を論理的に秩序づける力とともに世界を呪術的、すなわち魔術的に転覆してしまう力をもっている。井筒は、言語のもつ両義性にして二面性を、さらに【「外延」(デノテーション)】と【「内包」(コノテーション)】という術語を用いて言い換えてゆく。それこそが『言語と呪術』を成り立たせている基本構造であり、著作全体を貫く中心課題であった。「外延」とは、言葉の意味を明示的、一義的に指示する外的な機能であり、「内包」とは、言葉の意味を暗示的、多義的に包括する内的な機能である。「外延」が有限者と有限者(人間と人間)のあいだにむすばれる水平的かつ間接的なコミュニケーションを可能にするならば、「内包」は無限者と有限者(神と人間)のあいだにむすばれる垂直的かつ直接的な啓示を可能にする。「外延」は秩序を構築し、「内包」は秩序を解体し再構築する、すなわち「脱構築」する…。
言語は、論理にして「外延」、呪術にして「内包」である。》(『言語と呪術』「解説」227-228頁、【 】は原文ゴシック)
《神の聖なる言葉、すなわち超現実の言語、あるいは、直接性の言語が発生してくる場所に、西脇は前人未踏の詩的世界を作り上げ、折口は共同社会の発生と文学の発生が重なり合う「古代」を幻視した。そこに井筒俊彦による「哲学的意味論」にして詩的意味論の一つの起源が確実に存在している。
そしてもう一人、井筒が『言語と呪術』をまとめる上で理論的な柱としたオグデンとリチャーズの『意味の意味』からの大きな刺激を受け、独自の言語論を練り上げていった人物がいる。吉本隆明である。吉本がまとめ上げた全二巻からなる『言語にとって美とはなにか』(一九六五年)、特にその理論篇である第Ⅰ巻の冒頭で展開される、きわめて詩的であると同時にきわめて理論的な考察は、ある意味で、『言語と呪術』と瓜二つである。そこで吉本は、やはり言語がもつ二つの側面、自己表出性と指示表出性を厳密に区別する。その区別は、西脇=ポーランによる言語の感性的機能と知性的機能という区別と完全に等しい。オグデンとリチャーズとともに、吉本が第Ⅰ巻の冒頭で参照するカッシーラー、ランガー、そしてマリノフスキーは、そのすべてが井筒の『言語と呪術』でも参照されている。また第Ⅱ巻全体を通して、詩から物語、さらには劇へと至る、吉本による言語芸術の発生史において理論的な支柱となっているのは、一貫して折口信夫の営為なのである。折口信夫と西脇順三郎、井筒俊彦と吉本隆明。近代の列島に生まれた日本人の手になる独創的な言語理論は、ほぼすべて同一の系譜の上に成り立ち、またそれ故、同一の構造をもつものだった。
その起源においては、やはり「文学的内容の形式」を「認識的要素(F)と情緒的要素(f)との結合」から論じ尽そうとした夏目漱石による『文学論』の試みもまた共振している。》(『言語と呪術』250-251頁)