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「私」がいっぱい(パート1.5)【22】

【22】二人称の優位、貫通の諸相

 森岡氏の「貫通型独在性」の概念は、①二人称的確定指示の圧倒的先行、②指示による(独在的)貫通、③貫通を通じた独在性の気づき(独在的存在者の場所の確定)、という三段階で構成されています。
 このプロセスの起点となるのは「二人称の優位」(295-296頁)という事態であり、森岡氏はこのことを幼児の言語習得の(あるいは公共言語成立の)プロセスに準えて説明しています。

《私がこの世界に生まれ落ちたときにはすでに人々が二人称で指したり指されたりするコミュニケーションを行なっており、私は二人称の網の中へと生まれ落ちる。私は二人称を用いた指差しの意味を学習し理解するがゆえに、それを通路として独在的存在者の場所の把握に至ることができる。その意味で、独在的存在者の概念は二人称を基盤のひとつとして成立する公共性の落とし子である。》(『〈私〉をめぐる対決』296頁)

 森岡氏は続けて、このプロセスの構造解明は「人称的世界の哲学」のテーマの一部であると述べた上で、“永井の独在論”との違いに言及します。

《このように、徹底的に一人称的で私秘的なもののように一般には捉えられがちな独在性の問題は、二人称の優位という地点を経由して、公共性の地平へとすでに接続されているという構造になっているのである。これらの点においても、純粋な形而上学の枠内に〈私〉の概念をとどめておこうとする永井と、その路線を取らない森岡のあいだには隔たりがある。独在的存在者の概念は形而下の肉体の世界ともつながっている。しかし、独在的貫通によって独在的存在者が成立することで、ある内包がこの世界へと付加されるわけではない。そのような形ではつながっていない。》(296頁)

 最後の一文を読むと、森岡氏が想定している独在的存在者とは、やはり一人称的な「魂」(あるいは「リアリティ」の次元に剥き出しで持続=存在する〈私〉そのもの)に根差した概念なのではないか、そしてそれは二人称的な「ペルソナ」と実は同根の──ジュリアン・ジェインズが『神々の沈黙──意識の誕生と文明の興亡』で論じた「右脳がささやく神々の声を左脳が聴く」といった事態に根差した──ものなのではないかと思えてきます。
 これらの点について確認するためには、本書『〈私〉をめぐる対決』の叙述を超えて、森岡氏の関連論考を読み込んでいく必要があるでしょう。実際、私は「パーソンとペルソナ」「ペルソナと和辻哲郎」「人称的世界はどのような構造をしてるのか」等々を一瞥して、「ペルソナ」「人称的世界」といった本書では軽く触れられただけの諸概念に、「二人称的確定指示」や「貫通」や「独在的存在者」と同様の“未知の魅力”を強く感じました。
 ただ、本稿ではそこまで踏み込んでいく余裕はないので、最後に、上記の三段階のうちの第二のステップ、すなわち「貫通」について、確認しておきたいと思います。

 『〈私〉をめぐる対決』において森岡氏が「貫通」に言及した箇所を拾います。どういう場面を想定してこの語を用いているかを検分すれば、それ託されたもの(概念的操作の射程・範囲)が見えてくると思うからです。なお、第一の引用文は、〈私〉を「独在的存在者」に上書きして読むべきでしょう。

《「〈私〉」はそもそも命題の述語部分に置かれ得ないのである。それが「独在性」の意味するものである。すなわち、〈私〉はすべての可能性を唯一者として必ず主語の位置に入ってしまうのである。これは可能世界論に関する言明のように見えるが、実はそうとも言えない。むしろ、〈私〉の視点からすれば、現実世界に対比されるような可能世界などそもそも存立し得ないことになると考えられる。》(125-126頁)

《「ここから世界が開けている‘唯一’の原点」は、〈私〉によるあらゆる想像を浸食し、汚染し、その原点の存在を否定するような想像までをも貪欲に浸食し、汚染し、みずからの支配下に置いてしまうのである。これこそが独在性の意味であろう。独在性は貫通していくのである。》(142頁)

《なぜ貫通型と呼ぶかといえば、「あなたなのです!!」の指差し線が頁から飛び出してきて、見る者ひとりだけを実際に象徴的に貫通するという経験を通して独在性への気づきが切り開かれるからである。この指差しの背後に、この指差しを行なう主体が隠れて存在しているわけではない。そしてこの独在的貫通は指差し線の動きの背後と手前の時空に果てしなく延びていると考えられる。》(287頁)

 これらの議論を通じて、「貫通」という概念の骨格が浮かび上がってきます。
 一言で言えば、独在的「貫通」を通じてすべての時空が すなわち、あらゆる可能世界・想像世界・虚構世界がただ一つの現実世界のうちに収束する。別の言い方をすれば、独在的存在者は、あらゆる可能世界・想像世界・虚構世界を浸食(=貫通)して、この現実世界(形而下の肉体の世界)における唯一者として存在する。
 他者との壁、生者と死者との壁、リアリティとアクチュアリティの壁、そして「主体/対象」「一/多」「内/外」(清水高志『今日のアニミズム』第二章・第五章参照)の論理の壁を貫通して。

 ──喃語もしくは譫言のごとき覚書を残し、「パート1.5」を閉じます。

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