言葉は煙のようなもの
言葉とは
言葉で何か考えを表現するということは煙で絵を描くようなものだ。
煙は刻々と変化するし見る角度によって変わる。ラインは常にぼんやりしていて直線を描くことはできない。
このnoteにおいてもたくさんの文章があるが真意を知ることはできない。
ただぼんやりとした輪郭から描きたい対象を推測しヒントを得る事ができるのみである。
人は鉛筆の長さすら測ることはできない
私は学生時代人間が自信を持って明確に答えを言えるものなどあるのだろうかと疑問に思ったが結局そんなものは存在しなかった。
我々は目の前のある鉛筆の長さですら正確に測ることはできない。
物差しで測って10.5センチだという者がいるがそれはおおよそであって小数点以下は永遠に続きこの鉛筆のどの原子からどの原子まで測れば良いかも分からない。
しかも原子はモデル図のようなボールではなく光のようなエネルギーからできているというので目に見えない。エネルギーのどの部分を最端としていいのか分からない。
結局私たちは鉛筆の長さ一つでも大雑把にしか伝えることはできない。さらに概念を表現するとなると信じられないぐらい雑で曖昧な表現しかできないのである。
言葉の表現したかったものを推測すること
結局我々は煙のようなぼんやりとした言葉しか持たないので細部は常に誤りを含んでいる。
人の意見を読む時も煙から本体を推測するように読む必要があると考えている。
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