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現代スペインの「対立教皇」:ヒトラー列聖の噂もある、カトリックの今日的「異端」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pope_Peter_III_of_Palmar.jpg©Idzhu573(CC BY-SA 4.0)を改変して作成
はじめに
20世紀後半に入り、ローマ・カトリック教会は歴史的な転換点を迎えた。1962年から1965年にかけて開催された第二バチカン公会議の結果、共産主義や無神論の脅威に対抗すべく、現代化を図っていくことになったのである。
ドグマティックと思われがちなバチカンでありカトリック教会だが、実は、真のカトリック、普遍的な教会であるためにはつねに刷新し続けなければならないことを、ヨハネ23世とその遺志を継いだパウロ6世は心得ていたのである。
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しかし――伝統からの逸脱は、時として深刻な分裂を引き起こす。
たとえば旧オーストリア帝室であるハプスブルク=ロートリンゲン家は、釣り合いが取れない身分の相手との結婚、すなわち貴賤結婚に対して長らくかなり厳しい態度を取っていたが、二十世紀後半にこれを全面的に解禁した。
にもかかわらず――その後、かつての基準ならば確実に貴賤結婚にあたる結婚を宗家嫡男がした時、大勢のハプスブルク一門が猛反発した。おそらくこの結婚が原因の一つであろう、現在、熱心な君主制支持者の中には宗家を見限って分家を支持している者も少なくないという。
長年の方針転換に対する保守派の反発は、ローマ・カトリックの世界でも例外ではない。第二バチカン公会議のせいでもはや別物に変わってしまったと考える者も、ごく一部ながら現れた。
そうした過激派は、第二バチカン公会議の前に選出されていたパウロ六世まではともかく、その後に選出されたローマ教皇たち――ヨハネ・パウロ一世、ヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世、フランシスコ――の正統性を認めていない。
ヨハネ・パウロ一世以後を教皇として認めないという人々は、パウロ六世を最後に教皇は存在しなくなってしまったと考えたわけではない。もちろん中にはそう考える者もいたが、いなくなったなら自分で好きに立てられると考える者もいたのである。
かくして、ヨーロッパ史・キリスト教史に登場する「対立教皇」の現代版とでもいうべき存在が、二十世紀後半以降、世界各地に現れた――。
現代スペインの「教皇」
スペイン南部に位置するアンダルシア州はエル・パルマル・デ・トロヤ(El Palmar de Troya)に、イグレシア・カトリカ・パルマリアーナ(Iglesia Católica Palmariana)という教会がある。
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©AndreasK58(CC BY-SA 4.0)
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