高いワインが美味しく感じるのは、嫌な臭いが含まれているおかげ?
高いワインは美味しくて、安いワインは美味しくないのですか?
僕のことを“ワイン通の男”と勘違いする方々から、こんな質問をよく投げかけられます。
たしかにある高額なワインの方が安いワインより美味しく感じることが多いのは確かです。
ただ、個人的にワインは、“ウマいマズい”の世界ではなく、“飲み手の興味をそそるか否か”がポイントだと答えるようにしています。
今回もくだらない話となりますが、最後までお付き合いください。
ジャスミンの香りの研究
僕の尊敬するマニアックワインライター ジェイミー・グッド氏の著書の中に、「ジャスミンの香りの研究」に焦点をあてたセグメントがあります。
とある心理学者と脳科学者がジャスミンを題材に、被験者に「天然ジャスミン香」と「合成ジャスミン香」の香りの反応を比較した香りの識別に関する研究について言及されていました。
どうやら合成ジャスミン香はだいぶクオリティが高いようで、結局被験者たちはどちらが天然で合成なのか判別することはできなかったそう。
そこで研究者が、「あえていうとすれば、どちらが好きな香りですか?」と被験者たちに問うと、“天然ジャスミン香が好き”と答えたのだとか。
判別できない香りであるにもかかわらず、なぜ天然の香りに被験者たちが惹かれたのか…。
そこにはワインに通じるであろう、とある秘密があったのです。
嫌な臭いがあるから
じつは、天然ジャスミン香には、「インドール」が2%ほど含まれているのだそう。
インドールと聞いてピンと来た方はなかなかものですが、この成分。糞尿などの臭気成分のひとつで、濃度が高いと相当ヤバい臭いとして我々を苦しめる成分なのです。
“え、マジで…?”と思われた方もいるでしょう。
たった2%でもかなりキツい臭いを放つインドールですが、研究者は「脳に断崖的な影響がもたらされたのではないか?」と分析。
要するに…
天然ジャスミン香を嗅ぐ
↓
いい香り!
↓
おえ…なんだこの臭い…
↓
いい香りがより際立つぞ!
↓
ちょ、まてよ。…なんか好きかも!
というわけです。
この作業が脳で一瞬のうちに処理されていることから、臭い!という部分が強調されず、それがフックとなっていい香りがより良く感じられてしまっている…ということなのでしょう。
じつはこれ、ワインにも当てはまると思うのです。
良い部分が際立つことで美味しく感じる
高級ワイン(というか、2,000円以上?の個性を重んじて造られているワインにします)が美味しいと感じるのは、やはりワイン中に含まれる成分が複雑だからだと考えられます。
まず、安価なワインというのは、大手メーカー製(一部)のものや、小さなワイナリーのよりカジュアルに誰でも手が出しやすいラインといった大衆向けのワインです。
多くの人に手にとってもらうためには、ワインの美味しさと飲みやすさに焦点を当てて製品を造らなければなりません。
こういったワインの場合、ワイン通たちから“平坦なワイン”と揶揄されてしまうことが多いのですが、理由のひとつに前述した脳に断崖的な影響が起こっていないから…と考えることができるのではないでしょうか。
一方、高級ワインの多くはとても個性的です。
例えば、ブレタノミセスの影響を受けたワインやチオール量がちょっとおかしいワイン、TDN(灯油っぽい香り)など、高級ワインによく見られる特徴でしょう。
本来、“オフ・フレイバー”と見なさるような品質のワインにもかかわらず、なぜか我々は美味しいと思ってしまうのです。
高級ワインの多くは嫌な香気成分も多少含んでおり、それがワインの魅力をより際立たせる…。
さらにそれを飲み手が、“嫌だ”と感じる前に脳の意識が際立った美味しさに惹かれてしまい、結果そのワインのことが“好き”になってしまう。
これが、高級ワイン(個性を追求したワイン)の方が美味しいと感じる理屈のひとつだと思っています。(答えは人それぞれです)
超余談ですが、ソースは甘辛だから美味しいのかもしれませんね。甘過ぎても平坦で飽きるし、辛さ過ぎるともはや使った方がまずくなる。
あの絶妙なバランスだからこそより甘み(うまみ)が際立ち、我々の脳の報酬回路が激しくスパークするでしょう…。
人工的に造るのは難しい
となると、“じゃぁ、安価なワインだって嫌な香りをプラスすればいいのでは?”と思う人がほとんどでしょう。
しかし、ワインに含まれている成分は複雑であり、熟成年数によっても成分バランスなどが大きく変わってきます。
また、嫌な臭いを無理やり付け加えて誰もが喜ぶ製品にする…というのは賭けですし、費用と期間が半端なくかかることも容易に想像可能。
だったら、どこかブドウ畑を購入して自社だけの個性を際立たせたワインをドメーヌ的に造った方がまだ早道でしょう。(となると、結局高額なワインとなる)
もちろん、高級なものでも品質管理などによって“おや…”というものがあるのはたしかですが、それは嫌な部分を我々が嫌だと認識できてしまうレベルまで来てしまっているのでしょう。
美味しさがマスキングされてしまうほど、難点が目立つと美味しく感じない…ということですね。(それが美味しいと思う方もいるでしょう。ただ、一例として自然派であれば何でもイイとか、そういった強力なバイアスがかかっている可能性があります)
回りくどい話となってしまいましたが、こういった見方もワインの美味しさを考える要素のひとつと考えていただければ幸いです。