苦難を生き抜く少年の成長物語!山本有三の『路傍の石』①
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10月第1作目には、山本有三の小説、『路傍の石』を取り上げます。
『路傍の石』は、極貧の家に生まれた主人公の愛川吾一が、様々な苦難・困難を経て経済的・精神的に自立した人間になろうと努力し続ける成長小説です。
1937年頃から朝日新聞に連載されるなど、注目を集めていましたが、戦争期の時代背景により、当局からストーリーに干渉され、未完に終わる、という形の珍しい小説でもあります。
『路傍の石』――苦難に負けず、自分の人生を生き抜く少年の成長物語
山本有三(1887~1974)
【書き出し】
そのとき、吾一は学校から帰ったばかりだった。
はかまをぬいでいるところへ、おとっつぁんが、ひょっこり帰ってきた。
おとっつぁんは、彼に銅貨を一つ渡して、焼きイモを買ってこいと言った。
よっぽど腹がすいているらしく、いやにせかせかしていた。
【名言】
【あらすじ】(前編)
愛川吾一(あいかわごいち)は、負けん気の強いまっすぐな子供だった。
成績優秀で中学進学を希望していたが、家にその余裕はなかった。
指折りの旧家であった愛川家は、父・庄吾の代に没落し、母・おれんの内職で生計を立てていたのだ。
見かねた担任の次野立夫が、本屋の黒川に学資の約束を取りつけるが、庄吾は、「人の金で進学など、士族の恥」と断ってしまう。
せめて入学金だけでも自分の貯金で払おうとする吾一に、母は涙ながらに、貯金は父が土地の訴訟に使ってしまい、父は上告のために東京に行ってしまったことを伝えた。
春、吾一は紺色の前かけを締め、しおしおと「伊勢屋」の門をくぐっていた。
呉服屋で奉公することになったのだ。
そして、来て早々、「五助(ごすけ)」と名前を変えられてしまう。
吾一は、自分の名前に誇りを持っていた。
以前、汽車が通る鉄橋の枕木にぶら下がるという無茶をした時があった。
そんな吾一に、次野が、「吾一というのは、われはこの世にひとりしかいないという意味だ」と教えてくれたのだ。
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