少年を踏み潰す「車輪」の正体とは?ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』④
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今月は、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を取り上げます。
『車輪の下』とは、ドイツ語で『落ちこぼれ』という意味で、ヘッセ自身の学生時代の体験が投影されている自伝的小説です。
一人の少年の人生が周りの大人たち(社会)の期待に踏み潰されてしまった悲劇が描かれます。
受験戦争の過熱した現代の私たちにも、必要な教訓が含まれているかもしれません。
『車輪の下』―周囲の期待?大人の利己心?少年を踏み潰す「車輪」の正体とは?
ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)
【書き出し】
仲買人、兼代理店主、ヨーゼフ・ギーベンラート氏は、同じ町の人にくらべて、目だつようなすぐれた点も変わったところも、べつに持ってなかった。
みんなと同じように、恰幅のある丈夫そうなからだつきで、商才も人なみだった。
〈高橋健二 訳『車輪の下』(新潮文庫)より〉
【名言】
※あらすじはこちら⇓⇓
解説①はこちら⇓⇓
【解説②】
『車輪の下』を自伝的小説として書いたと言われているヘルマン・ヘッセ。
一体どのような体験があったのかを調べてみました。
主人公ハンスと親友ハイルナーの二人は、どちらもヘッセの投影
1891年、ヘッセは『車輪の下』の主人公・ハンスと同じように、過酷な詰め込み教育による受験勉強の結果、名門のマウルブロンの神学校に入ります。
しかし、途中から「詩人になるのでなければ、何にもなりたくない」という気持ちが抑えられなくなったそうです。
悩んだ末に、入学してからわずか半年で神学校から脱走。
その後は、不眠症とノイローゼに苦しみ、退学することになります。
『車輪の下』の主人公・ハンスと、詩・文学を好み神学校から脱走する親友ハイルナー。
この二人は、どちらも若き日のヘッセを投影した人物であるといえそうです。
主人公・ハンスと作者・ヘッセの違いは、母親の愛情?
ヘッセはその後の転入学もうまくいかず、十七歳で町工場の見習いとなります。
ここまでの境遇はほぼ、『車輪の下』のハンスと同じ。
自滅するハンスとヘッセの違いは、どうやら母親の愛情にあったようです。
幸いにして、ヘッセには、愛する息子のために祈り続ける母親の存在がありました。
自分を信じてくれる母親の存在があったからこそ、ヘッセはハンスのように死を選ぶことなく、立ち直ることが出来たのだと思います。
その後、書店の見習い店員となったヘッセは、徐々に安定し、詩集を自費出版。
文学者の道を歩み始めます。
『車輪の下』はなぜ多くの人に読まれるようになったか?
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