同じ空の下で|チャリティエッセイ
私が中学生の頃、我が家ではチャイルド・スポンサーシップという制度を利用して、発展途上国の子どもたちの支援をしていた。毎月一定の額を寄付することで、生活に困っている子供たちの環境を支援する、というものである。
チャイルドスポンサーになると、支援地域に住む”チャイルド”が紹介され、定期的に彼らからお礼の手紙が届くようになる。我が家にも、時々、スポンサーになっている”チャイルド”から、お礼や近況報告の書かれた手紙が送られてきていたのを、大変印象深く覚えている。
手紙には、たとえば次のような内容が、名前入りの直筆で書かれていた。
「○○様 この度はご支援ありがとうございます。いただいたご支援のお陰で、私たちは学校に通うことができています。将来の夢は、医師になって困っている人を助けることです。勉強頑張ります!いつか日本に行ってみたいです。皆さんもお元気で。○○より」
おそらく、学校で学んだ文字で、一生懸命書いたのだろう。顔も見た事のない”チャイルド”。その地域に旅行でもしない限り、おそらく一生会う事もないであろう。
しかし、たとえ直接会うことがなかったとしても、自分たちの支援により、学校に通い、生活できている子どもたちがいる。その事実に新鮮な喜びを感じ、胸を躍らせたものである。
世間では、災害支援や発展途上国支援のチャリティが数多く存在している。そんな中でも、支援地域の子どもたちから直接お礼の手紙が届く、というのが大きな魅力であったと思う。
ところで、私たち個人がチャリティで寄付できる金額というのは、せいぜい限られている。定期的に支援したところで、子ども数人分のフォローにしかならないかもしれない。当然、貧困に苦しむ発展途上国全体の支援はできないし、国同士の戦争を終わらせることもできない。
そんな中、すずめの涙ほどの支援金を送るのは空しくはないか。微々たる寄付金で、世界は変わらないではないか。そのように考える人もいるだろう。私自身も、個人寄付の限界に関しては悩むこともあったし、両親としても、十分にその現実は理解していたと思う。
このことについて、当時中学生の私は、両親に直接質問したことがあった。
「これ、うちの寄付で数名の子どもたちの支援はできるかもしれないけど、苦しんでいる子どもたち全員を救うことはできないよね。なんか、支援を受けられた”チャイルド”はラッキーだけど、支援を得られなかった子のことを考えると、複雑な気持ちになっちゃう」
すると、両親からは、意外な答えが返ってきた。
「もちろん、個人的な支援で世界の現状を変えられるとは思っていない。ただ、この企画は、あなたたちの勉強のためにもなると思ってやっているんだよ。遠い外国で苦しんでる子どもがいると言ったって、実感が湧かないでしょう?だから、こうして文通する相手がいることで、世界を身近に感じてほしくてやっているんだよ。大きくなった時に、国際感覚のある子になってほしいから」
なんと、発展途上国の子どもたちのために寄付をしているだけかと思いきや、私たちの勉強の意味合いもあって寄付をしているのだという。父はさらにこう続けた。
「世界の紛争を解決するには、国の政治の問題が絡んでくる。もし、国同士の問題解決に直接携わりたいと思うなら、政治家や外交官になればいい。病気やケガに苦しんでいる子供たちを直接治したいと思うなら、医学部を目指したらいい。世界の現実を自分の言葉で多くの人に伝えたいと思うなら、作家やジャーナリストを目指せばいい。要は、あなたたちがこの先どうなりたいかを考えるための、きっかけにしてほしいんだよ」
なるほど、そういう教育の方法もあるのか、と子どもながらに感心したのを覚えている。納得した私の様子を見届けたのか、両親から便箋を渡された。
「支援している”チャイルド”へのお返事、よかったら書いてみてね」
当時の私には、明確な夢が定まっていなかった。しかし、手紙をくれた”チャイルド”たちは、将来の夢をしっかりと定め、それに向けて努力していることを、文章を通して伝えてくれていた。自分も彼らの誠意に答えなくてはなるまい。私はやや緊張しつつ、彼らへのお返事を書いた。
「お元気ですか。こうしてお返事を書けることを嬉しく思います。大変な環境の中、未来に向けて勉強を続けているお姿を知り、本当に尊敬しています。私も皆さんを見習って、日本でできることは何かを考えながら、精一杯頑張ります。いつかぜひ、日本を訪れてみてください。」
あの時、手紙を交わした相手が誰であったのか、今となっては定かではない。ただ、異なる国の者同士が、チャリティという形で交流したということ。その経験が、お互いの将来にとって良い刺激になったのは間違いないだろう。
この世界のどこかで、今日も貧困や紛争により苦しみ、失われる命がある。その数は一秒、一分が進むごとに、確実に増えている。一方で、時計の針が進むたびに、また新たな命が生まれ、育まれていく。それが「生きる」ということなのだろう。
私たちは、同じ空の下、それぞれの環境で、力の限り生き抜いていく。共に地球人として生き、未来を守るために。
【完】
〈追記〉
このエッセイを書くにあたり、私個人としても、人道支援のチャリティに携わりたく、ユニセフを通して、ガザ人道危機緊急募金に協力することにしました。
たとえば、
になるそうです。(ユニセフ公式ホームページより)
もしも、出来ることを探しているという方がいらっしゃいましたら、ぜひ参考にしてみてください。
私がガザ支援に興味を持ったきっかけは、本年読書感想文記事にも書かせていたきましたが、ガザ紛争に巻き込まれた人々の生の体験談を読んだからです。
同じく血の通った人間としての苦しみ、悲しみがストレートに伝わってくるため、自分にできることはないだろうか、と考えました。
ご興味のある方はぜひ、拙記事をご覧ください。
この記事は、『最も長く続くSNSリレーエッセイテーマ「チャリティとは?」』のバトンリレー企画に参加したものです。
「チャリティ」に関するエッセイであれば幅広く募集するということで、リレーのバトンを繋がせていただきました。
発起人の小林潤平さん、企画ディレクターのPJさん。
このような機会に参加させていただき、誠にありがとうございました!
バトンはこじらせアラサーOLリィさんからお受け取りしました。
リィさん、素敵な企画にお声がけくださり、本当にありがとうございます。
次のバトンをつなぐ方は、ソラノイロさんです🌸
ソラノイロさんは、詩や20字小説など、noteの様々な企画に精力的に参加されています。
バトンリレーに手を挙げてくださり、本当にありがとうございます🌸
どうぞよろしくお願い致します。
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