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ローカリクラスターのみなさーん、シリーズ始めます

社会人になった頃に「この人すごいなー」と思った先輩や上司の年齢って、実は今の自分よりもだいぶ若かったりして、ちょっとしたショックを受けることもある今日この頃。なんですが、考えてみたらすでにいろいろと能力のピークは完全に過ぎていて、老眼だって進んでるから見間違いとか日常茶飯事だし、昔みたいに集中力も続かないし、細かい作業が好きだった自分らしくない間違いもしてしまうわけです。

そうなってくると自分の出せるバリューというのは、違った視点での発想であったり、これまでの経験をいかに抽象化して伝えていくか、ということになってくると思います。

この抽象化というのが大切なところ。人に自分の経験を伝えるときには、具体例も重要なんですが、具体例はあくまでも一つの例でしかなくて、それをあんまり押しすぎると「それはあなたの経験であって、今回の話と関係なくね?」と思われてしまうし、なにより、その人の考えを真っ向から否定することになったりして、やる気を削ぐことになると思うのです。というか、そうやって自分のやる気も削がれてきたので、できるだけ人にはそういうことをしないようにしよう、と思っています。

しかも、具体的な例は会社の外では言ってはいけないようなことが多いので(笑)、抽象化はやっぱり大切なのです。

さて、人に伝えたいたくさんの経験の中の一つで、繰り返し繰り返し経験して「もう、本当に根本的にどうにかならないものか!」と思うのが、ローカリゼーションの問題です。外資系で働く人なら、きっと理解してもらえると思います。

この問題、いろいろなレベルに存在していて、製品、ブランド、広報、ウェブサイトなど、それぞれ少しずつ違った課題を抱えているのですが、今回少しずつシェアしたいのが、製品のソフトウェアにおけるローカリ、ウェブサイトなどのローカリなど、翻訳者を通して起こってしまうたくさんの悲劇です。

というと、翻訳者にがあるように聞こえますが、正直、翻訳の「間違い」はかなり少ないと思います。そうではなくて「これを翻訳して」と依頼される内容がおかしい、という場合が多いのです。あるいは、その内容を確認しないまま、お互いの認識が違っているがために起こってしまう悲劇なのです。

元の文章を書くライター、これを翻訳に回すためのプロセスに載せる何らかのエンジニア、そして、翻訳者という複数の人が関わってきます。そしてそれぞれの人が自分のやることだけにフォーカスしてしまい、最終的な成果物をきちんと認識せずに仕事をしてしまうことで起こる問題なのです。

そういう意味では日本語ではない言語を扱う元文章ライター、エンジニアの課題もあるわけで、日本語だけで書いてるだけではだめなのですよね。むしろいかに元言語側の人たちの考え方を「最初からローカリしやすく作るか」という方向に変えるために元言語(まあ、主に英語)でも伝えることが重要なので、どこかでちゃんと頑張って英語でも書かないといけないと思ってはいます…。それなりに大変な作業なので、まず日本語で書き始めてみたいと思います…。許して…。



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