お金を払うかどうかは受け手側が決めるもの
日本人と情報の親和性
今の時代、誰でも簡単に情報を発信できる。
特に日本の場合は義務教育を受けてきた人たちで読み書き出来ない人はほぼ居ない。情報の伝達もしやすい国民性と言っても過言ではない。
だから、広告にも踊らせられやすく、騙されやすい。
愛すべき日本人にとってネットは自分を表現する場所でもあり、なんでも手に入る場所でもある。
noteの良いところ
特にnoteの場合、SNSの要素とクリエイティブな要素が組み合わさり、自己表現をしたい人たちがたくさん集まっている。
そんな場所では、玉石混交。宝石もあれば、石もある。
ダイヤモンドの原石も中にはあるが、磨かれていないのでやっぱり石だ。
ダイヤモンドは磨かれて初めて価値を生む。
人間も同じ。磨かれて初めて価値を生む。
閑話休題。
noteの良いところは、有料配信ができるところだ。
僕は、このnoteの有料配信で儲けようとは思っていない。お金を払ってまで見たいと思える人だけが見てくれる。そんな機能だと思っている。
価値ある情報とは?
価値ある情報には対価がつきものだ。古くは新聞。今の若い人たちは、新聞の情報に価値を見出さないため、お金を払わなくなってしまった。TVCMだってそうだ。スポンサーがTVでCMを流すことに価値があると思っているから成り立っているが、それも成り立たなくなってきている。Youtubeの方が視聴数が確実に把握できるからだ。TV視聴率というは、ランダムサンプリングの推定値。ランダムサンプリングは統計調査などの学術的調査では標本誤差の元となるので、問題となる。
価値ある情報だからこそ対価を払うのであれば、受け手側の問題になる。
その情報に価値を見出すことができるかどうかは、本来発信者が考えるべきことではい。
受け手にとってその情報に価値があると判断すれば、お金を払ってでも見たいと思うだろう。しかし、その情報に価値を見出させなければ無料でも欲しいと思わない。
新しい価値観が生む、価値ある情報
インターネットが普及する以前は、ある意味マスメディアによって情報が統制されていた。だから、ブームも起きやすかった。しかし、今のネット社会では、以前ほどのブームが起こらない。なぜなら、情報の統制が出来ないからだ。ニーズが多様化したとも言える。学生までは、自分たちの社会は学校とそれを取り巻く環境にしか無い。その制限された条件下であれば、統制も取りやすいだろうが、以前ほどの盛り上がりはない。
インターネットは元は一部の人達のテクノロジーだった。それが、メディアとなり、そして現在ソーシャルを形成している。
この新しい社会では、情報に価値を見出すのは、発信する側ではなく受け取る側になっている。伝わる情報を発信することよりも、受け手側がその情報をどう判断するかが求められるのが、今のインターネット社会だ。
その中において、有料配信サービスのコンテクストが変容してきている。受け手側に判断基準が委ねられているが故に、「いいね」とか「スキ」とか「♥」とかがつけられる。その最上級がお金なのだ。逆に捉えると今のインターネット社会では共感だけがお金になる。
notoの「スキ」その先にあるものが、Money
noteはそんなSNSだと思う。
参考
無作為抽出
妻がきれいになった本当の理由(これに共感を得る人が増えないことを願う)
有料noteを出す際に考えるべきこと