「やる気」は万能薬ではない
講師業をしていると、よく生徒から「やる気が出なくて……」と言われます。
学習塾の広告でも頻繁に使われる「やる気」というワードですが、どうもこの「やる気」に気を取られて肝心なことがおろそかになっている場面をまま見かけるような気がします。
先日も高校1年生に、「宿題があるのはわかってたけど、やる気が出なくてできませんでした」と言われました。
正直に申告するのは大変結構なことですし、できなかったものは仕方がないので別に怒りはしませんが、
「宿題があるのがわかってたなら、いつどこでその宿題をするのかあらかじめ予定を立てておかんとあかんよ。それでもできんかったら予定の立て方に無理がなかったかどうか見直さんと、いつまで経ってもできひんかもしれんで」
とは伝えます。
また、授業中に問題を解く手を止めて、「あかん、やる気せえへん」と言って投げ出してしまう生徒もいます。
学校や部活で疲れていたり、嫌いな科目だったりで、解きたくないという気持ちになるのは仕方ないですし、疲れている様子だと気の毒にもなります。
しかし小中学生ならまだしも高校生にもなれば自分のコンディションを認識して、自分で「今日は授業に出るか否か」の行動を選択することができる年齢だと思いますし、そうなってもらわなければ大学進学後が心配です。
私の授業は高校の必修単位ではありませんし、塾では事前に連絡をすれば別の日に授業を振り替えることができます。勉強ができるコンディションでないときに授業に出るのは、何よりも生徒にとって時間と体力の無駄です。
とはいえすでに授業は始まっていて、早退するわけでもないとなれば、
「やる気はなくてもいいから、できるところだけやってみ」
と言うしかありません。
そして、実際にやる気はなくてもいいのです。
やる気がなくても、漢字を10回書けば普通の子は一時的に覚えます。英単語でも公式でもそうです。そして数時間ないしは数日で忘れます。
忘れたらまた覚えて、また忘れたらまた覚えて……これを何度も繰り返せば、いずれ見飽きて忘れなくなります。そうなるまで続けることが勉強です。
やる気がなくても、やれば成績は上がります。やる気がなくても毎日走り続ければ、走る習慣のない人より長距離を走れるようになるに決まっています。
やる気の有無が問題になるのは、おそらく偏差値60後半から上のハイレベルな競争においてではないでしょうか。
私が担当する生徒は、多くが偏差値50未満で、勉強する習慣がなかったり勉強の仕方がわからなかったりする子が珍しくありません。そしてそういう子ほど、「やる気さえあれば勉強ができる」と思い込んでいる気がします。
この数年間色々な生徒を見てきた教える側としては、一番質が悪いと感じるのは「やる気だけはあるやらない子」です。
熱意や目的意識は強いのに実行しない(勉強しない)という子は実際にいます。
それに比べれば、「やる気はないけどやれと言われたことをやる子」ははるかに優秀です。
基本的に私は「これをやれば絶対に成績が上がる」と確信できることしか「やれ」とは言いません。それを実行したのに成績が上がらなかった、となれば悪いのは完全に私です。生徒に一切非はありません。
確かに実行することは大変です。特に受験勉強なんて面倒くさいし疲れるし遊びたいしもうイヤだ、と感じるものだと思います。
ただ、大学に進学すると決めたのが本人なら、やる以外に選択肢はありません。やる気がどうこう言っている場合ではないのです。
どうすればやる気が出るか、よりも、どうすれば実行できるか、を考えないといけません。
そして実行につなげる方法は、それこそ生徒の置かれた環境や性格、得手不得手に左右されるので、唯一絶対の答えはありません。
また、実行できるのも本人以外にいないのです。
私は教えたり提案したり励ますことはできますが、勉強をするのはあくまでも生徒当人です。誰も代わりにやることはできません。
もし今「やる気が出ない」という問題に直面しているなら、やる気について考えるよりも「どうすればこの課題に取り組むことができるか? どうすれば1行でも1問でも多く進めることができるか?」ということを考えてほしいと思います。