会議革命をつくろうー会議で欠けがちなことー
「会議革命をつくろう!」第3弾となりました。
先週は、会議における問題症状を引き起こす構造についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
このnoteを通して、皆さんの会議の見え方が少しでも変わっていたら嬉しく思います。
さて、私の職業柄、ファシリテーターとして多くの会議に参加せていただくことがあるのは既にお伝えした通りです。
これまでも「会議の不思議現象」とも言えるものをいくつかご紹介してまいりましたが、なかでも『会議が踊る』場面は数え切れない程見てきました。
とある誰かが、さながら独演会のごとく熱弁を振るっているものの肝心の議題は一切進まない。
これがいわゆる会議慣れしていないだろう業種・文化の会社だけでなく、コンサルティング事業を生業にしている会社でもたびたび起こるということが不思議だと思う所以です。
そして、その「独演会」の熱量に反して他の人たちが黙りこくっていく場面に何度も立ち会うにつれ、「発言者は、自分の言動に関してつもりの自分と傍の自分の姿が違っているということ、すなわち認知がズレているのではないか?」と思うにいたりました。
発言者本人としては、自分の問題意識を共有したり、問題の原因を追究したいという姿勢から話されているつもりなのだと思うのですが、実際のところは単なる評論になっていたり、他責的発言になってしまっている。
多くの場合、本人に全く悪気が無いのが厄介なポイントです。
この認知のズレは何故起こるのでしょうか。
根本的に何かが欠けているとしたら、それは何が欠けているのでしょうか?
当事者意識の欠如が答えではないか?
と思われる方も多いかもしれません。
不正解ではないのですが、そもそも当事者意識とは認知の問題であり、「当事者意識が無い状態」が人間のデフォルトです。
ポイントは、当事者意識が無いと周囲から評される状態が、なぜ継続してしまうのか?というところにあります。
私なりに、これまで様々な会議を拝見してきて気付いたのは、次の「3つの問い」が欠けているのではないか?という事でした。
(1)自分たちが果たそうとしていることに寄与したことをやっているのか?
(2)自分たちがやろうとしていることの副作用は何か?
(3)自分たちが引き受けることとして問われていることは何か?
順番にご紹介していきます。
(1)自分たちが果たそうとしていることに寄与したことをやっているのか?
その発言はいったい何になるのか、ということを自分で十分検証せずに発言されている場合がままあります。
「この会議で生み出されたものが自分たちが課題解決しようとしているこの根本を、根絶するものになるのかどうか」
この問いがない発言はシャープさを欠き、ただ意見を垂れ流しているだけになって評論や愚痴になりやすくなります。
(2)自分たちがやろうとしていることの副作用は何か?
意見を述べ、会議の結論を出すことは必要なプロセスです。
それにより副作用としてどんなネガティブインパクトが起こり得るのかという検証が肝要なのですが、その検証が足りていない状況を多く見かけます。そうすると、単なる評論と愚痴を言って終わるという事になります。
(3)自分たちが引き受けることとして問われていることは何か?
当事者意識を養えるかどうかについては、特にこの3つ目が重要だと思います。
その発言、その結論が生んだ結果について、自分が何を引き受けるのかに自覚的であるかどうかが、結果的にその人の発言の質を高めていくことにもつながっていきます。
会議に参加する一人ひとりが、どのような問いを持ち、どのような姿勢で臨むのか。
会議革命をつくる最初の一歩は、ここから始まっていくのではないでしょうか。
あなたが引き受けていることは何ですか?
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