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『人の器』を測るとはどういうことか?

監訳として携わらせていただいた「『人の器』を測るとはどういうことか?」(オットー・ラスキー (著), 加藤 洋平 (翻訳), 中土井 僚 (監訳) )
https://amzn.to/49ilPCx ) は、2月下旬に出版されて3週間で重版が決まり、多くの方が手に取ってくださっていることを有難く思っております。

本書は成人発達理論と人材育成・組織開発実践をテーマとしています。
発売前から多くの反響をいただき、「人の器を測る」というタイトルを巡っては様々なお声を頂戴しました。

なぜ、このような問いをタイトルとしたのか。
このタイトルは何らかの物議をかもす可能性があることは承知の上で、あえてこのタイトルにさせていただきました。
それは、いわゆる「炎上」を狙ったということではなく、本書の本質的な価値と取り扱い上の難しさを感じてのことでした。

そうした私自身の想いは、本書の『前書き』に記させていただきましたので、出版社からの了承の元、その『前書き』をここに転載いたします。

「人の器」を測るとは、いったいどういうことなのか?
本書を通して、この問いを深める旅路を皆さんとご一緒できれば幸いです。

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「「人の器」を測る」
この言葉を聞いたとき、どんな感覚が沸き上がるでしょうか。
人によっては、「人の器を測るってどうやるんだろう?」と好奇心を刺激されるかもしれませんし、人の器を測ろうとする試み自体に不遜な匂いを感じ、不快に思う方もいるかもしれません。はたまた、人の器を測ることができるなら、組織内での昇格、昇給の基準として活用できるのではないかと思われる方もいるでしょう。
もし、「人の器とは何ですか?」と問われたとすると、答えに窮する人は多いのではないでしょうか。それにも関わらず、「あの人は器が大きい」、「器の小さい人の元で働きたくはない」、「事業部長としての器がないから、あの人を昇格させるべきではない」、「自分には人の上に立つような器はない」といった形で、私たちは自他の器を無意識に測ってしまう傾向があるようです。
これらの表現から伺い知れることは、人の器の大きさとは、他者に対する肯定的または否定的影響の度合いを何かしら示すものであるようです。
人の器とは一体、何でしょうか。そして、その器を測るとは何を意味するのでしょうか。
本書の原題は、”Measuring Hidden Dimensions”であり、翻訳者である加藤洋平氏は、本書の翻訳を PDF 化して自身のウェブサイトで紹介していた際には、「心の隠された領域を測定する」というタイトルをつけられていました。
従って、本書で書かれている内容は、「人の器を測る」ということと直接的に関係しているとはいいがたいかもしれませんし、そもそも、「人の器」にぴったりと合うような英語表現がないことを考えると、適切な邦題ではないかもしれません。
それでもなお、「『人の器』を測るとはどういうことか」という邦題を選んだ理由にはいくつかの要因が影響しています。
一つ目は、多種多様な学術領域が存在する成人発達理論の概略を理解しやすくするために、加藤氏が「成人発達理論による能力の成長~ダイナミックスキル理論の実践的活用法~」(日本能率協会マネジメントセンター)の中で、人間としての器(人間性や度量)の成長と具体的な能力(スキル)の成長とを分けて紹介していることに起因しています。器の成長に代表される一つが、ロバート・キーガンの提唱するモデルであり、能力の成長に関係するものの一つが、カート・フィッシャーのモデルとなります。本書の解説の大半を占めている社会的・感情的発達(Social-Emotional Development)は、ロバート・キーガンのモデルがベースとなっていることから、本書は器の発達に関する測定について解説していると位置づけました。
二つ目は、著者であるオットー・ラスキー博士が生涯の研究人生の中で、心理学のみならず、経営学、社会学、芸術の分野に至るまで幅広く探究を続け、人間の全人格に迫ろうとした野心的ともいえる取り組みに光を当てたかったことにあります。彼は本書内でも紹介している通り、全人格に迫る上で、社会的・感情的発達、認知的発達、精神分析(欲求/圧力分析)を統合しようとしています。また後に、この三つに加え、霊性(スピリチュアル)の発達についてもその統合の過程に含めるにいたっています。
これらの四つの観点から人間を映し出す取り組みは、人間の器とは何かを解明しようとしているプロセスそのものなのではないかと考えています。三つ目には、たとえ学術的な研究の裏付けがあったとしても、人が人の器を測るという行為がそもそも倫理的に許されるのかどうかについて投げかけさせていただきたいという思いがありました。先述した通り、私たちはいつの間にか他者を様々な尺度から判別し、その人なりの優劣判定によって他者との関りを決めてしまうことも少なくありません。独自の解釈と経験によってのみ出来上がってしまった、その人なりの「物差し」によって他者を裁き、関係性に限界を生み出してしまうことに比べれば、学術研究に基づいて、様々な角度から人間を知ろうとすることの方が幾分、効果的なようにも見えます。しかしながら、その「物差し」が学術研究に裏付けられているように見えれば見えるほど、人の器に優劣をつける行為を絶対的なものに仕立て上げてしまい、結果的に他者を傷つける道具として使われてしまったり、社会全体に脆弱性をもたらしてしまったりする危険性も十分あります。
本書で解説されている社会的・感情的発達の段階が鋭さを持ち合わせている分、監訳に携わらせていただいた立場として、自戒の意を込めつつ、私自身いつでも原点に立ち戻させる問いとして、「『人の器』を測るとはどういうことか」という邦題にさせていただきました。
本書で記されている社会的・感情的発達を中心とした内容を通して、皆さま自身の「器」を巡る旅路と、他者の「器」に対する支援がより適切に、倫理観をもって果たされるきっかけとなることを心より願っています。
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本書の出版記念イベントとして4月に2本のオンラインセミナーを企画しましたが、有難いことに4月2日の鈴木則夫さんとの対談には100名を超える方にご参加、ご視聴いただきました。
皆さまのご関心の高さを感じています。

続く26日のイベントでは、原著者のオットー・ラスキー博士に師事し、本書の翻訳を担当された加藤洋平さんと対談させていただきますので、皆様のご参加を心よりお待ちしています。

◆4月26日(金)「人の器」と「意識構造の発達」-濃厚な書籍を訳者と監訳者がやさしく解説!/『「人の器」を測るとはどういうことか』出版記念セミナー
http://ptix.at/owq0rX
主催:enfac

5月には蔦屋書店様でのトークショーも企画しております。
詳細がわかりましたら、またご案内させていただきたいと思いますので、楽しみにお待ちください。



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