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視座を高められる人と高められない人の違い

本人には自覚なく周りから(会社組織でいえば上位階層の人から)「あの人は視座が低い」と言われてしまう人の共通点とは一体何でしょうか?
私は、それは、「自分の責任と権限の範囲内のことを考えることに終始している」ことにあるとみています。

多くの人は、自分に与えられた責任を全うしようとする真面目さを持っていますが、それを与えられた権限の中でなんとかこなそうと躍起になっています。

これは一見間違った行動には見えませんし、これ自体は問題ではありませんが、大きな副作用と伴います。
それは、自分が実際に影響を与えている/影響を与えうる範囲を限定しやすくなるのです。

私たちは何気ない一言でSNS上を炎上させる/その炎上に加担してしまうくら
いの影響力は既に持っています。
実際に、派遣社員が言っていたという噂話をきっかけに社長の意思決定に歪みを与えていく姿も何度もみてきました。

つまり、私たちは自分が思っている以上に影響力をすでに与えており、また与えうる力を持っているのです。

では、視座が高いと目される人は何が違うのでしょうか?それは、自分の責任と権限の範囲を超えた物事に関心を寄せ、「そのことに自分は影響を与えうる」という視点に立っていることにあります。

一言でいえば「自分事化」ということになりますが、「自分事化できていない」理由をほとんどの場合、その人の無関心さと責任感のなさに帰着させます。
それも一因ではありますが、もっと根本的なものは、自分の影響力に対しての認識に差があるのです。

責任と権限の範囲の内側であれば、自分が影響力を及ぼせる範囲だと思いやすくなれます。
しかし、その範囲を超えると、何やら面倒くさい感じ、自分には無理だろうといううっすらとした諦め、他の責任範囲の人がやるだろうという放置が生じやすくなります。

その範囲限定の思考が自分の城に立てこもるかのような発想だけをさせてしまうのです。


長野県伊那市に菓匠Shimizuという和洋菓子屋があります。
店主の清水慎一さんは「菓子創りは夢創り」を信条に、子供たちが描いた夢をケーキで表現する「夢ケーキ」という活動を全国で行っています。

興味深いのはこの活動が始まった経緯です。
それは10数年前に隣町で起きた中学二年生が鉈で自分の父親を殺したという惨劇でした。

彼は「うちの店のお菓子を食べて一家団欒の会話があれば起きなかったはずだ」という思いに至り、スタッフの人たちに「事件を起こしたのは俺たちだ!」と言い放ったそうです。

スタッフの人たちからは当初「言っている意味がわからない」と猛反発されたそうですが、「ケーキを介して家族で夢を語り合える場を作りたい」という願いに辿り着き、夢ケーキの活動が生まれたとのことでした。

着目したいのは、隣町の惨劇と自分のお店のケーキの影響力を結び付けられている清水さんの発想力です。
その着眼が「自分の店のお菓子を作るのが自分の仕事」という限定された思考を超えさせ、新たな視座の開きを生んだのではないでしょうか。


限定された思考を手放し新たな視座に立ったとき、
あなたが叶えたい本当の願いは何ですか?


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